改めて振り返る、アメリカ大統領暗殺未遂事件の歴史
1968年6月5日:ロバート・F・ケネディ
犯人:サーハン・ベシャラ・サーハン 襲撃方法:ピストル 場所:カリフォルニア州ロサンゼルス 事件の内容:カリフォルニア州の民主党予備選で勝利したロバート・F・ケネディは、ロサンゼルスのアンバサダーホテルで当時24歳のパレスチナ移民サーハン・ベシャラ・サーハンによって銃撃され、死亡した。 彼は、ケネディの親イスラエル的言動が暗殺の動機になったと主張している。死刑判決を受けたが、終身刑に減刑された。彼は長年にわたって仮釈放を申請しているが、却下されている。 写真:ニューヨーク州の上院議員ロバート・F・ケネディとその後ろに立つ妻のエセル。アンバサダーホテルに集まった大観衆を前に勝利のVサインを示した彼は、この数分後に暗殺された。
1972年5月15日:ジョージ・C・ウォレス
犯人:アーサー・ブレマー 襲撃方法:ピストル 場所:メリーランド州ローレル 事件の内容:当時アラバマ州知事だったジョージ・C・ウォレスは、大統領選挙の遊説中にショッピングセンターでアーサー・ブレマーに銃撃された。このとき、腹部と胸部を含む4カ所を撃たれ、下半身不随になった。ウォレスはメリーランド州の予備選に勝利したが、この負傷によって彼の大統領選挙運動は事実上終了した。 写真:5月17日の新聞を手にするジョージ・C・ウォレスと妻のコーネリア。見出しには、5月16日のメリーランド州およびミシガン州の民主党大統領予備選でウォレスが勝利したことが記されている。
1975年9月5日:ジェラルド・R・フォード
犯人:リネット・フロム 襲撃方法:ピストル 場所:カリフォルニア州サクラメント 事件の内容:ジェラルド・R・フォード大統領は、わずか数週間の間に2度の暗殺未遂事件に遭遇したが、生き延びた。最初の事件はカリフォルニア州サクラメントで発生。カルト集団指導者チャールズ・マンソンの信奉者、リネット・フロムに狙われた。彼女の銃撃は失敗に終わり、フロムは有罪判決を受けて投獄された。 写真:暗殺未遂事件を受けて、捜査官らに取り囲まれながらカリフォルニア州議会議事堂に急いで向かう、フォード大統領(中央左)。