改めて振り返る、アメリカ大統領暗殺未遂事件の歴史
1975年9月22日:ジェラルド・R・フォード
犯人:サラ・ジェーン・ムーア(写真) 襲撃方法:ピストル 場所:カリフォルニア州サンフランシスコ 事件の内容:リネット・フロムによる暗殺未遂からわずか17日後、今度はサラ・ジェーン・ムーアがサンフランシスコでフォード大統領の暗殺を試みたが、その銃撃はわずかに外れた。 2009年にムーアはこう語っている。「私たちは国を変える必要があると訴えていたが、そのためには暴力による革命しか手段がなかった。私は真にそれ(フォードを暗殺すること)が、この国で新たな革命を引き起こすかもしれないと思っていた」
1981年3月30日:ロナルド・レーガン
犯人:ジョン・W・ヒンクリー・ジュニア 襲撃方法:ピストル 場所:ワシントンD.C. 事件の内容:レーガン大統領は、演説を終えてワシントンヒルトンホテルを立ち去ろうとしていたとき、ジョン・W・ヒンクリー・ジュニアに銃撃された。 AP通信によると、25歳のヒンクリーは、「俳優のジョディ・フォスターを感動させる」ために大統領暗殺を試みたという。レーガン大統領は脇腹を撃たれ、ホワイトハウスに戻るまで13日間入院した。ヒンクリーは後に心神喪失を理由に無罪となった。
1994年10月29日:ビル・クリントン
犯人:フランシスコ・M・デュラン 襲撃方法:半自動アサルトライフル銃 場所:ワシントンD.C. 事件の内容:フランシスコ・M・デュランはホワイトハウスに29発の銃弾を発射した後、シークレットサービスに逮捕された。大統領は建物内にいて、無傷だった。デュランは有罪判決を受け、懲役40年の刑を宣告され、現在もバージニア州の連邦刑務所「USPリー」で服役している。 写真:ホワイトハウス正面のフェンスをえぐった弾痕。
2005年5月10日:ジョージ・W・ブッシュ
犯人:ウラジミール・アルチュニアン 襲撃方法:手りゅう弾 場所:ジョージアの首都トビリシ 事件の内容:ウラジミール・アルチュニアンは、ジョージ・W・ブッシュ大統領と、ジョージアのミヘイル・サアカシュヴィリ大統領に向かって手りゅう弾を投げた。 手りゅう弾は大統領たちから61フィート(18メートル)ほど離れた場所に着弾したが、不発に終わった。アルチュニアンは逮捕され、終身刑を言い渡された。ブッシュ大統領とサアカシュヴィリ大統領は、集会が終わるまでこの事件を知らなかった。 写真:ジョージアの首都、トビリシの自由広場で演説するジョージ・W・ブッシュ大統領。