上級国民と下級国民…日本の格差や「忖度文化」「社会からの孤立」はがんじがらめになった〈絆〉のせい? アフターコロナの人とのつながり方の処方箋
日本における他との軋轢を避けるために払っているお金や時間などの犠牲、いわば「忖度のコスト」は、政治で50兆、経済で50兆の計100兆円に達すると、思想家で投資家の山口揚平氏は見積もります。山口氏の著書『3つの世界 キャピタリズム、ヴァーチャリズム、シェアリズムで賢く生き抜くための生存戦略』(プレジデント社)より一部抜粋して、これからの人とのつながり方について解説します。
柔軟性のあるつながりを大切にしよう
「絆」は人間関係を硬直化させる。現にこれまでの日本社会でも、上級国民・下級国民などの格差、犯罪や忖度などの断絶を生んできた。 現在の日本における他との軋轢を避けるために払っているお金や時間などの犠牲、いわば 「忖度のコスト」は、政治で50兆、経済で50兆の計100兆円に達すると思われる。政治の忖度コストは、一律支給やお友達内閣、判断遅延などを生むと皆わかっている。 経済の忖度コストは、大企業のコングロマリット(複合事業体)でも問題となっている。実は経済付加価値をまったく出しておらず、むしろ50兆円のマイナスだということだ。企業が解体し、事業が自立すると一気に解消するこの忖度コストは大きい。 忖度文化は卒業しよう。日本にはもはや機能する民主主義も、お金も未来産業も、それらを支える先進的教育システムおよび医療・福祉も何もないが、まだ残っているものがある。 法と倫理である。ここにすがろう。仕事もプライベートもきちんと人と人が向き合い、互いの価値意識のズレを認知し、うやむやにせず、その交点を対話によって探るとともに、法システムに照らし合わせて客観的に解決するようにしよう。 絆からそろそろ卒業しよう。絆とは硬直的なつながり、紐帯(ちゅうたい)とは柔軟性のあるつながりである。その紐帯を大事にしよう。 人はつながり、離れ、また新しいつながりをつくる。時を経て同じ人とつながり合うこともある。そのすべてが自然なことである。だから邂逅(かいこう)を大事にし、無機質な人間関係を精算し、品位と礼節をもって相手を理解しようと努め、適切に対話し、時に対立し、ルールに照らし合わせて喧嘩をしよう。正義は人の数だけある。正しさとは偏見である。だから良い悪いも存在しない。 ニューノーマルとは、リアル空間での甘えと曖昧さから、デジタル化と遠隔コミュニケーションの中で行われる真の人間同士のコミュニケーション形態へと進化することである。