近年は中東で目立つ日本人誘拐・人質事件 早稲田塾講師・坂東太郎のよくわかる時事用語
■21世紀以降
共産主義の総本山であった旧ソ連が1991年に崩壊し、各国の共産主義系の過激勢力が全般として力を落としていく代わりに、イスラム原理主義に基づく過激派が邦人誘拐する例が目立ってきました。また新しい特徴として、ボランティア、旅行、取材などの目的で「危険だ」とされる地域にあえて立ち入って身柄を拘束され身代金を要求される事例が増えてきました。 その先駆けともいうべきは1991年、パキスタンのインダス川下りのさなか武装強盗集団「ダコイト」に誘拐され身代金を要求された事件でしょう。お金と引き替えに解放されましたが大使館が「治安が悪い」と再三に渡って中止するよう説得したにも関わらず起きた事件でした。 もっとも「ダコイト」は盗っ人集団で政治色はありませんでした。2001年の同時多発テロでアメリカが「テロとの戦い」を宣言し、日本もその側に立つと、イスラム過激派が横行する地域への渡航は、誘拐され政治目標や身代金が要求された場合に「テロリストと交渉するのか」と白眼視されかねません。他方、国家は邦人を保護する責務もあるので母国を難しい立場に追い込む行動は慎むべきとの声が出てきます。 2004年にはボランティア活動家の高遠菜穂子さんやフリージャーナリストの安田純平さんらがフセイン政権崩壊後のイラクに入りイスラム過激派に拘束され、当時イラク特措法に基づいて派遣されていた自衛隊の撤退を命と引き替えに要求してきました。政府はこれを突っぱねる一方で、粘り強く交渉し解放されました。身代金こそ支払わなかったものの少なくない国費と人員を割いての結果だったので「自己責任」論が強くわき上がりました。 これとは別に旅行中の男性が「危険だ」との制止があったにもかかわらず同国入りしてイスラム過激派に拘束され、男性は殺害されました。 2010年にはジャーナリストの常岡浩介さんがアフガニスタンで何者かに拘束。アフガニスタン政府は反政府勢力タリバンの仕業としている一方で、常岡さんは別の見解を述べています。