表参道に吹く風―「生命回帰社会」の建築
ファッションブランドが依頼した世界的な建築家の建物がずらりと並ぶ東京・表参道。建築家であり、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんは、建築と並木と心地よさに関しては、パリのシャンゼリゼー通り、ニューヨークの五番街も凌駕する心地よさ、と語っています。 著名建築家の作品群としても楽しめる表参道から、若山さんが伊東豊雄氏の建築を取り上げます。 ----------
欅並木と現代建築
青山通りから、明治神宮に向かって、表参道を歩く。 欅並木の葉を揺らす夏の風が心地よく、歩道が広いので自動車の騒音や排気ガスを感じさせない。 浅草の仲見世が下町の参道なら、こちらは山の手の参道。東京が誇る新旧二つの参道として対照的だ。仲見世が、江戸時代の長屋のように一つの建築に土産物屋が並び入っているのに対して、表参道は、世界のファッション・ブランドがそれぞれ個性のある現代建築家に設計を依頼した店舗が建ち並んでいる。 丹下健三、黒川紀章、安藤忠雄、伊東豊雄、妹島和世、隈研吾、その他外国人も含めて、世界的な建築家の作品が目白押し。こんな通りは世界にも稀である。ショッピング・ストリートとして、シャンゼリゼー(パリ)や五番街(ニューヨーク)に匹敵するのは長いあいだ銀座であったが、今では表参道というべきだろう。知名度ではまだ一歩譲るものの、建築と並木と心地よさに関しては、すでに表参道が、シャンゼリゼーも五番街も凌駕している。 日本橋は、江戸以来の呉服屋と両替商の街であり、銀座は明治から大正にかけて発展した舶来品の街であった。表参道は、明治天皇没後その神宮への参道としてつくられたのが、戦後高度成長を経て、特に平成時代になって、ファッション・ストリートに変貌したのである。
風のように
軒を連ねる建築家の作品の中でも今回は、伊東豊雄の「トッズ」という、革製品ブランドの店舗を取り上げたい。 周辺の欅を映したような樹木の形をしたコンクリート面と、その間を埋めるガラス面がピタリと突き合わされて、建築自体がくっきりとしたオブジェとなっている。建築の基本となる柱、梁、壁、窓といった構成を完全に打ち破った意欲的な試みの建築だ。同じコンクリートでも、型枠の継ぎ目とセパレーターを意匠化して建築の基本を外さない安藤忠雄とはまた異なる美意識である。内部は大きな吹き抜け、というより、ハンドバックなど革製の商品を見ながら自然に階段を上がる仕組み。 独創的だが、奇をてらったという印象のない、自然な建築である。筆者は、このさりげなさに好感をもっている。 伊東は、その少し前、仙台のメディアテークという建築(実際には図書館と考えていい)を設計している。細い鉄柱を網状に組み合わせて大小いくつかのチューブを構成し、梁のないフラットなスラブを支える柱とする。さらにそのチューブの内部にエレベーターや階段や設備系統を組み込んで、それ以外の部分をガラスで覆って、完全にオープンな自由空間とした。 これは、伊東のそれまでの建築原理を集約したものと理解していい。 「東京遊牧少女のパオ」というプロジェクトを発表し、横浜の排気塔の設計では「風の塔」という言葉を使い、その頃の伊東は「風の変様体」「ノマド(遊牧民)」という言葉がキーワードとなっていた。建築というものの重厚な存在感を否定するかのような、軽く、柔らかい、透けて見える、あたかも移動可能な、そういった建築を目指していた。 「反権力」というほどではないが、建築が固定的な権力の象徴となることを避ける姿勢が顕著であったのだ。「反体制」が時代の空気でもあった世代の特徴でもあろうが、引揚者であり、スポーツマン(高校時代は野球のピッチャー)でもある伊東の個人的性格でもあろう。彼には、権力、権威、根性、魂といった言葉は似合わない。そして何よりも野球のボールが投げられたような「風」を感じさせる。作品はもちろん、その風貌も、その話し方も、伊東には「風の建築家」という言葉がふさわしい。 仙台のあと、伊東の建築は何か吹っ切れたように、自由に、動的に、意匠的になっている。むろん取って付けたような意匠ではなく、構造と意匠の融合が、それまでの建築にない美しさを実現しているのだ。トッズはその一例だが、似た概念の作品に銀座のミキモトがあり、ピンクの外壁が印象的だ。また最近は台湾で、きわめて意欲的な作品を発表している。