表参道に吹く風―「生命回帰社会」の建築
国家からブランドへ
ゆるい坂を下って、明治通りとの交差点を過ぎ、坂を登り、まっすぐ行けば代々木公園、右へ行けば明治神宮、そして左手には、丹下健三が64年の東京オリンピックの際に設計した国立屋内競技場が建つ。前にこの欄でも取り上げた見事な吊り構造の建築だ。伊東のトッズが「意匠が構造に」反映されているなら、丹下の競技場は「構造が意匠に」反映されている。 復興期には、国家が建築家のパトロンであった。 成長期には、大企業と自治体がパトロンであった。 そして今では、世界のファッション・ブランドがパトロンなのだ。 国家は、建築に、権威と伝統と近代化の象徴を求めた。丹下健三はそれに応えた。 大企業と自治体は、建築に、機能と性能とコストのバランスを求めた。日建設計などの組織設計体がそれに応えた。 世界のブランドは、建築に、突出した美意識を求めた。安藤忠雄、伊東豊雄、妹島和世などはそれに応えた。
モダニズムの先へ
ル・コルビュジエが「住宅は住むための機械である」としたように、建築のモダニズムは、豪壮な石造建築の様式を否定し、機能に基づいて形を決めることを目指した。工業化時代の建築である。 1980年代、モダニズム建築の単調さに飽きた社会は、ポストモダン(近代のあと)の建築を求めた。工業化時代に代わる情報化時代の建築が模索されたのだ。一方で歴史的な形態に回帰する傾向が見られ、もう一方で新しいハイテク技術を使った、軽快で変化に富む形態が追求され、極端なものは、近代主義を脱構築する(デコンストラクティビズム)とさえいわれた。新国立競技場で話題となったザハ・ハディドはこの典型である。 伊東もまた後者(ハイテクによって自由な形態を追求する)に属する建築家とみなされていた。彼の建築は常に、普通の意味での「柱・梁・壁・窓」といった要素を拒否し、作品そのつど、まったく新しい構成を提示する。しかし筆者は最近、彼の建築が生命体の形態を感じさせることを重視している。それは、コンピューターや複雑系の理論や数学的アルゴリズムといった概念とともに語られることが多いのだが、筆者はごく単純に、一つの生命体が、卵から孵化し、徐々に形態形成する過程のような建築といった方がいいような気がするのだ。