中日右腕に味わわせた“屈辱” 膝・肩・血行障害…満身創痍の阪神ドラ1が築いた不敗神話
阪神が優勝&日本一の1985年、チーム2位の12勝を挙げた
その試合、7回表には中日・鈴木孝政投手からプロ人生唯一の本塁打も放った。「確かノーアウト一塁でバントのサインが出たんですけど、鈴木さんの球が速くてバックネットの方にいっちゃったんです。そしたら打てのサインに変わった。最初にバント失敗した時に、(中日)ショートの宇野(勝)さんがセカンドポジションに早く入ったので、よーし、ショートゴロを打ってやろうと思ってパチーンと打ったらホームランになったんです」と中田氏は笑顔で話す。 「孝政さんにはね、球場とかで会ったら今でも言われますよ。『ピッチャーの中田に打たれたのはすごい屈辱なんだよ』って冗談でね。でも、あれは鮮明に覚えていますね」。それも含めて、いい流れが来ていたのだろう。「肩の状態とかは、その日にならないとわからないですけど、先発の場合は(登板間隔があり)まだ何とか調整ができるじゃないですか。それもよかったのかもしれませんね」。 残念ながら8月17日の広島戦(広島)は体が“雨状態”だったようで、2回4失点で敗戦投手になり連勝は18で止まったが、めげることはなかった。中4日先発の8月22日の大洋戦(横浜)は味方打線から16点の大量援護を受け、6失点完投勝利で初の2桁、10勝目。8月28日の広島戦(甲子園)ではプロ初完封勝利で11勝目を挙げた。そして吉田義男監督率いる阪神はリーグ優勝へ向かって突き進んでいった。日本シリーズも制覇する最高の年になった。 レギュラーシーズンでの中田氏の12勝は、阪神ではリッチ・ゲイル投手の13勝に次ぐ勝ち星。まさに大貢献のV戦士になった。「やっぱり優勝できたのはよかったなと思いますね。いい年に活躍できた。それは自分の中でも大きいですよね」。翌1986年からは4シーズン連続0勝とまた苦しい時期がやってくるが、18連勝もリーグ優勝も日本一も中田氏にとってはもちろん、一生忘れることのない思い出だ。
山口真司 / Shinji Yamaguchi