『ソウルの春』で軍事クーデターの首謀者に扮したファン・ジョンミンが明かす葛藤「演じるのに“勇気”が必要だった」
歴史の中には、いつも光と闇がある。1979年12月12日に韓国で実際に起きた軍事クーデターを題材に、独裁者の座をねらう男と、国を守ろうとした男の国家の命運を懸けた9時間の攻防を描く『ソウルの春』。本作を力強く駆動するのは、“光”である高潔な軍人としてイ・テシンのように国家の横暴に抵抗する者と、その対となる悪しき“闇”の存在、強欲な権力者チョン・ドゥグァンだ。ファン・ジョンミンは、細心の注意力と演技力が求められるこの悪役をどう演じたのだろうか。韓国映画界の羨望と映画ファンの信頼を一身に集める名優の、演技術の一端に触れるインタビューをお届けする。 【写真を見る】チョン・ドゥグァンというキャラを 「俳優の演技欲求を刺激する 興味深い役柄」と評したファン・ジョンミン ■「この映画が観客に受け入れてもらえるだろうか?」 『ソウルの春』のキム・ソンス監督は「シナリオをくれたキム・ウォングクプロデューサーも私も、彼しかいないと思いました」と、製作の初期段階からチョン・ドゥグァン役をファン・ジョンミンに演じてほしいと切望していたことを明かした。折しもその時ファン・ジョンミンは3年ぶりに復帰した舞台「リチャード三世」で、希代の悪人を演じていた最中。観劇していた監督には、すでにイメージがあったのだった。 だが、悪役とはいえリチャード三世はシェイクスピアの戯曲のキャラクターだ。かたやチョン・ドゥグァンは、自国の現代史を揺るがした実在の人物。演じることへのプレッシャーは段違いだ。さらに、映画の冒頭で「その年の冬に起き、隠蔽されてきた物語」と断り書きがあるように、「粛軍クーデター」が繰り広げられた9時間については回顧録や評伝、記事などの資料は多数残されているものの、実際に反乱軍の内部でどのような話が交わされたのかは、 未だ多くの謎が残されている。また、鎮圧軍の具体的な動きについても正確な記録は見つかっていない。韓国現代史の暗闇の最奥には、これまでほとんど誰も手を伸ばすことができなかったのだ。 ファン・ジョンミンは『ソウルの春』の脚本を渡されていた俳優たちの中で最も早く快諾の返事をした。それでも、心の中は不安が渦巻いていたという。「『映画としてこの内容で本当に大丈夫なのだろうか?韓国の近代史に汚点を残すような事件なのに、果たして観客に受け入れてもらえるだろうか?』と葛藤しました。この作品は実在した人物を扱っていて、チョン・ドゥグァンは集団を統率する立場にあるキャラクターです。彼を偶像化しないよう心がけて、悩んで演じました」。 悩み抜いた末、“脚本上の役割に忠実に”という役者の本分を守ったファン・ジョンミンは、熱演という言葉では言い表せられないほどの鬼気迫る演技を見せ、今年5月に行われた百想芸術大賞映画部門で主演俳優賞を獲得した。意外なことに百想芸術大賞初受賞だったが、その際の受賞スピーチが感動的だった。「キム・ソンス監督、俳優の方々、スタッフの皆さん、そして難しい時期にこの映画を愛してくださった観客の皆さんの勇気のおかげです」と語っていたが、偶然だがキム・ソンス監督もまた「チョン・ドゥグァンを演じられたファン・ジョンミンさんの勇気に感動している」と話している。 粛軍クーデターのあと、軍事独裁政権による弾圧の時代が始まっていく歴史を忠実に描く本作は、当然、ありきたりのフィクションで得られるようなカタルシスはない。それでも、時代と社会を正しさへ導こうと死力を尽くした“勇気”を持った人々がいたことを、『ソウルの春』は観客に記憶させる。「自国の近代史に実在した人物を演じるわけですから、そういう意味で“勇気”と表現したのだと思います。人物を偶像化してはいけない反面、絶対的な悪として演じることもできないからでしょうね」。 保安司令官になった序盤、演説のスタイルがなかなか決まらず苛立つ様子や、ハナ会の若手を自分の椅子に座らせて士気と忠誠心を煽る横顔。ファン・ジョンミンは、最初は人当たり良く振る舞うが相手が自分の思い通りにならないと豹変する人物を演じさせたら一級品だが、本作でも盟友で反乱軍のナンバー2、ノ・テゴン第 9師団⻑(パク・ヘジュン)はじめハナ会の将校たちの感情を弄びながら、彼らの野望を焚き付けてコントロールしていく。「人間は命令を下すのが好きだと思うだろ?人間という動物は、強力な誰かが自分を導いてくれることを願うんだよ」とノ・テゴンへうそぶくセリフは、実に象徴的だ。ファン・ジョンミンが明かしたように、チョン・ドゥグァンは“絶対的な悪”、つまり暴力だけで人を抑圧する凡庸な怪物というより、人間の心の機微を理解した狡猾な人物としてスクリーンに立ち現れている。だから、この男が権力を手にしてしまった瞬間がたまらなく恐ろしいのだ。 ■「クーデターは成功したが、軍人としては負けたという思い」 終盤、チョン・ドゥグァンの内面が最もよく表れるシーンでファン・ジョンミンの役者としての真価が現れている。歴史を紐解けば、粛軍クーデターを経た韓国社会がどうなっていくか、多くの人が知るところだ。フィクションのメリットは、事実は曲げられずとも、観客へのアプローチにはいくらでも余地が生まれる。ファン・ジョンミンは「状況的な結果としてはクーデターは成功したといえる一方、軍人としては負けた、という感覚をもって演じました」と答える。一夜にしてすべて我が物にしたはず人間の“敗北”という矛盾が瞬時に表現された、見事なシーンだ。「その後のシークエンスも、監督ともたびたび頭を抱えましたね。結果的に、勝ったことを表立って喜べなかったチョン・ドゥグァンが誰もいないトイレに入り、排泄欲の解消と共に勝利を喜ぶ、という設定で演じる形となりました」。 ■「どの作品においても与えられた役柄を全力で演じるだけです」 韓国でよく言われる“믿고보는 배우(信じて見る俳優)”からさらに派生した“믿보황”=믿고보는 황정민(信じて見るファン・ジョンミン)と呼ばれるファン・ジョンミン。演技巧者が数多ひしめく韓国映画界では、幅広い役柄を演じ分ける俳優は何人もいるが、キム・ソンス監督と初めてのタッグとなった『アシュラ』(15)のパク・ソンベ市長、本作のチョン・ドゥグァンといった悪役から、韓国公開が控えた『ベテラン2』の人情派熱血刑事ドチョルまで、こうも振り幅のあるキャラクターを一切のマンネリを感じさせず演じていることに驚かされる。一方で、「ベテラン」シリーズのリュ・スンワン監督が「“人生のある時点で私たちがこの映画を一緒に作った”ということを気分良く振り返れる方々」として名前を挙げたように、類い希な演技力以上の、もっと基本的な人間力がファン・ジョンミンの魅力の源でもある。 先に挙げた授賞スピーチでは、チョン・ウソンら共演者、キム・ソンス監督に続いて、チョン・ドゥグァンの強烈な頭髪を手がけた特殊メイクチームにも感謝の言葉を伝えている。あの頭の撮影秘話も尋ねてみると、「キャラクターにリアリティを持たせるため、かつらだけは何度も試行錯誤を繰り返しました。そして特殊メイクは撮影前、毎回3~4時間を費やしていました。撮影後にメイクを落とした時の、ものすごい爽快感はいまでもよく覚えています」と、なかなか思い出深い経験だったようだ。 同時に、『ユア・マイ・サンシャイン』(05)で青龍映画賞を受賞したときの「スタッフが用意してくださった食卓に、自分はスプーンを乗せただけ」というあまりにも有名な名言が思い起こされた。彼のように、自分自身にスポットライトが当たる場で率先して具体的なスタッフワークにまで言及する俳優は、そう多くない。1990年に『将軍の息子』でデビュー以来、今年で俳優生活34年目を迎えたベテランは、「特に演技の原動力となっているものはありません。ただ、どの作品においても与えられた役柄を全力で演じるだけです!」と、いまなお新人のように謙虚なのだった。 取材・文/荒井 南