荒川の土手に埋められた遺体 虐殺の現場は今 「悼」の一文字に託す思い
歴史と向き合うのは誰のため?
現場近くに石碑が建てられたのは、2009年。必要な費用は会のメンバーが出したり、市民によびかけて捻出したりしたそうです。 この活動を始めた中心メンバーだった絹田さんは、石碑の完成を見ることなく、2008年に78歳で亡くなりました。 「会ができた40年前は、虐殺を自分の目で見た人がたくさんいて、直接証言を聞くことができました」 朝鮮人虐殺について書かれた資料は複数存在し、国立公文書館などの公的機関で保管されているものもあります。 しかし、西崎さんは、残された膨大な証言と比べると、それらに記されている被害は全体のごく一部だと指摘します。 西崎さんは、当時を知る人がいなくなった今、加害の歴史を無かったことにしようとする動きが活発になっていることを危惧していると話します。 「同情だけで歴史を語るのではありません。これは、これから私たちがどう生きるかという問題です。過ちから学ぶ社会と、同じ失敗を何度も繰り返す社会のどちらがよいか、少し考えれば分かるはずです」