「ペルシャ」を敵にすべきではない――ホルムズ海峡の文化地政学
日本の文化地勢学的戦略
古代オリエントの歴史をさかのぼってみたが、こういった文化履歴をもつ「ペルシャ=イラン」と今日の国際社会との関係は、他のアラブ諸国のそれとは異なった性格のものであろう。近隣国はもちろん、ロシア、中国、インド、さらに東欧諸国や南ヨーロッパなど、近いところほどその違いに敏感であり、イギリスやアメリカや日本のように遠いところほど、イスラム圏として十把一絡げにしがちである。 このところ続いている欧米文化とイスラム文化との摩擦においても、アメリカが主導する軍事的な衝突においても、ペルシャは、イラク・リビア・シリアといった国の体制とは異なる道を歩むような気がする。つまり簡単には崩壊しないと思われる。なにしろあのキュロス二世の国なのだ。 わが国は現在、米英に近い立場が強く出ているが「日本は本当に東洋なのか」と本欄の記事に書いたように「西洋でも東洋でもなく日本は日本」という立場を貫くためには、ここで単純にアメリカ追従という選択肢をとるべきかどうか一考を要する。 イスラム教圏とキリスト教圏との歴史的葛藤には、極東の島国の思案を超える根深いものがあり、さらに今回はユダヤ教のイスラエルが絡んでもいる。またアメリカには大使館人質事件以来の怨念がある。そういった宗教間の軋轢が蓄積されたところには、下手に手を突っ込むのではなく、その枠外にいる立場を利用した外交に全力を傾倒するべきではないか。それが文化地政学的な戦略というものだ。
タンカーは守っても…
とはいえ、ホルムズ海峡は日本のタンカーが引きも切らず、断然多いというのだから他国に任せて知らぬふりというわけにもいかないだろう。現実に攻撃を受けてもいる。その国のタンカーはその国が守れという論理には正当性がある。かつての湾岸戦争のように兵を出さずに金を出すというような態度は通用しない。また連合ではなく単独行動というのでは実効がなさそうだ。現実の政治選択においては、文化の歴史より今現在のパワーバランスが優先されるのは当然のことである。 「それじゃ結局参加するのか、同じことではないか」と言われそうだが、そこに微妙な違いがある。現場には常に多くの細かい選択肢が潜んでいるものだ。よく考えれば、海賊的行為から自国のタンカーを守りながらもペルシャを敵にするのではない、という論理は矛盾しない。誠心誠意、この大方針をとおすことである。アメリカの方針も微妙に揺れているようだ。 結果的には同じような選択であっても、単純な自国中心主義による目先の利益優先のそれと、深く相手の立場を理解した長期的文化的視野に基づいてのそれとでは、のちのちに異なる結果をもたらすものである。そういうことは個人の日常生活においてもよくあることだ。 近頃の日本人は、アメリカと中国、そして朝鮮半島の二国のことばかり考えているが、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国民の日本人への評価は比較的良好である。「資源のない島国がよく頑張って発展した。戦後は平和主義で経済援助も技術移転もしてくれた」などというものだ。この先人の努力による評判を台無しにすべきではない。 今の日本が目指すべきは、軍事大国でも経済大国でもなく、文化的な深みのある国であろう。結局はそれが長期的な安全保障と経済繁栄につながるのだ。