フィリピンのジャングルでの皇軍兵士のおぞましい「人肉食行為」…「日本赤十字社」の従軍看護婦にも“玉砕”の時が
人肉を食べる兵士たち
ルソン島北部のジャングルには、食べ物がなかった。私はこのルソン島北部やニューギニアの熱帯林を歩いたことがあるが、食料となるようなものはほとんど見当たらなかった。兵士たちはバナナの木の皮や芯、アザミの根、そしてネズミやゴキブリなど何でも口にした。履いている革製の軍靴まで食べた。そして、ここで暮らす先住民族が植えたイネやイモを畑から奪った。 「人肉を食べている者がいる」という噂が看護婦たちに伝わる。このルソン島でも、日本兵による人肉食が頻繁に行なわれていたようだ。山の中には、大腿部や頬などがえぐり取られた日本兵の死体が転がっていた。 日本兵は先住民族を襲っただけでなく、仲間の兵士まで殺して食べたのだ。この地域でも先住民族の抗日武装組織による日本軍への襲撃があったが、味方の兵士からも襲われないように警戒したというのだ。 たくさんの日本兵がジャングルの中で飢餓状態に置かれるといった事は、フィリピンだけでなくニューギニアでもあった。私は、ニューギニアで住民を殺してその肉を食べたという元軍属から話を聞く事が出来た。 日本統治下の台湾では、先住民族による「高砂義勇隊」が組織された。戦闘に参加しないはずの軍属だったが、フィリピンやニューギニアの陸軍部隊に配属。山仕事で使う大きな「蕃刀(ばんとう)」だけで米軍陣地への“斬り込み”の先頭に立たされ、多くの戦死者を出した。 「ニューギニアには、弾だけでなく食べ物もありませんでした。私が持って行った蕃刀は長さが75センチあり、人間の首でも落とせるほどでした。それでイノシシを捕まえただけでなく、住民を殺してその肉を夜中に煮て食べたんです。ただ戦友が死んでも、そうすることはありませんでした」 「人肉食があった」と話す元兵士はいるが、自ら人を殺して食べたと語った人はほとんどいないのではないか。その事を明らかにしたならば、社会から排除される可能性が高いからだ。台湾人の元軍属が語ってくれたのは、高砂義勇隊の取材で何度も訪れた私を信頼してくれたからだろう。