開演1時間前の“ドタキャン騒動”大バッシングの風向きを変えた、沢田研二とファンの「関係」
理解者(ファン)との向き合い方
しかし、これらのトライ&エラーが多くの人を振り回しているのも事実。それでも沢田研二が「我が強い、面倒な職人気質のアーティスト」で終わらなかった最大の理由は、ファンとの強い信頼関係だ。 ドタキャン騒動では、1時間前の公演中止にもかかわらず、怒っているファンがほぼおらず、それどころか、ほとんどの人が「ジュリーが健康ならそれでいい」と安心する様子を見せたのだ。 ワイドショー番組でこの様子が流れたことで、激しいジュリーバッシングの風向きが変わった。彼の謝罪も大きな影響があったが、それ以上に、ファンたちの姿は世間を納得させる威力があった。そして、これほどまでにファンに許される沢田研二の歌手人生と現在の魅力について世間は強く関心を持つに至ったのである。 2018年11月28日のかつしかシンフォニーヒルズ・モーツァルトホールでのライブでは、 「さいたまスーパーアリーナに来た人たちが文句を言わないと信じられた。それを(信じられた)僕は嬉しかった。ライブで、肌で感じるファンの人の気持ち、あの場所に来てくれて、それを許してくれたファンが偉いと思う」 とジュリーがMCで語ったというが、本当にその通りだろう。プライドを貫いたのは、ジュリーだけではない。ファンでもあるのだ。 沢田研二とファンとの関係は、本当に不思議である。前述した通り、彼は客席に向けてきつい言葉で注意することも多いという。しかし、それは今に始まったことではない。ジュリーを追い続けてきた國府田(こおだ)公子の著書『沢田研二大研究』(青弓社)では、ソロデビューして間もない1972年のニューACBライブおいて、次のような発言が書かれている。 「またファンの人たちとの間にはね、許し合わないかんのやけど僕はそれをしとうないたちや。いまするといかんと思うわけなんや。近い将来っていうかね、もうちょっとたったらどんなことでも許し合える、そういうファンとの間柄になれると思うから、いまは一生懸命こうやない、こうやない、握手なんか関係ないんや、サインなんか関係ないんや言うとるわけ」 いわゆる“塩対応”タイプである。それでも、彼の才能、姿、歌声、パフォーマンスに惹かれ、50年以上応援し続けるファンも多い。その関係はもはや戦友のようだ。ドタキャン騒動でお互いを信じたあの展開こそ、1972年の頃から彼が目指した「許し合える関係」の一つの到達点といえるのかもしれない。 そして、リベンジ宣言から5年後の2023年、さいたまスーパーアリーナで行われた75歳の『まだまだ一生懸命』ツアーファイナル・バースデーライブは、見事1万9,000人分のチケットが完売。そのエネルギッシュなステージに大歓声が響き、5年前は痛烈な批判にまみれたTwitter(現・X)が、称賛の嵐で埋め尽くされていた。 沢田研二とグループ・サウンズ時代からの盟友であり、『時の過ぎゆくままに』をはじめ彼の名曲を作ってきた大野克夫は、彼の原動力は「音楽への尽きない愛」と語っている。「彼には、精神的な強さもある。なにしろ僕の前で弱音を吐いたり、不安を口にしたことがない。悩みやつらいこともあったはずだけど、自分のなかで解決していたのでは? 声帯も鍛えていたと思うけど、そういう姿は見せたこともないですね」(クレタ・パブリッシング『昭和40年男』2021年6月号) 本気で戦ってきた人がいくつになっても一生懸命自分を磨き、本音で丸ごとぶつかってくる。その迫力と誠実さを、軽んじたり無視したりできるわけがない。 妥協したほうが楽な場面もそれをせず、周りに合わせて立ち振る舞うより今の自分を素直に伝えることを選ぶ。強いこだわりを持つ人は正直面倒くさくもあり、実際親しい人にこのタイプがいたら、振り回されヘトヘトになりそうだ。けれど、そのこだわりによって生まれた素晴らしい結果を見せられると、ああ、この人のすることをもう少し見続けたい、と思ってしまう。 今もライブに通い続けることを生きる目的として、沢田研二にパワーをもらっている人は大勢いる。 好きなことを一生懸命する人がいる。それに惚れこんだ人は、面倒な部分も理解し、応援する。応援されている人は、自然とその人を信頼する――。そういったサイクルが長く続き、しかも大きくなり、結果、こんな幸せな大逆転につながるなら、年を取るのも悪くないな、と思えるのだ。
田中 稲