104歳の大好物は某ファミレスの人気メニュー? 「人生100年時代」を生き抜く元気を“食の流儀”から学ぶ
何でも大きいまま頬張る
私は父と暮らして思い知りました。年をとったからといって、誰もが野菜の煮物や豆腐のような、いわゆる「年寄りが好きそうなもの」を好むわけではないのだと。父は今でも揚げ物や肉類など、ガッツリ系の食べ物が大好き。夕飯の献立に動物性たんぱく質がないと、明らかに落胆した顔をしますし、逆に肉料理を出せばそれだけで、 「おお、こりゃあご馳走じゃ」 と喜んでくれるのですから、単純明快すぎて笑ってしまうほど。 そんな父の「食の流儀」はいろいろあります。まず、何でも大きいまま頬張ってその食感を楽しむこと。たとえば桃やとうもろこしは丸かじりしますし、お雑煮のお餅も、のどに詰まらないように小さく切ろうとすると、 「そうなことしたらおいしゅうないわ。餅はかぶりついて引っぱって伸びるんが醍醐味なんじゃ。丸餅のまま入れてくれ」 とダメ出しされるのです。
「この、あつあつなのがうまいんじゃ」
考えてみたら、ウチは料理を老人向けにアレンジすることは一切ありません。父は硬いものでも、自分の歯でガシガシ噛んで食べています。だから知らず知らずのうちに、父の歯や顎関節、嚥下の機能は鍛えられているのだと思います。 熱いものは熱いうちに食べる、というのも譲れないこだわり。冒頭で紹介した「あつあつハンバーグ」にしても、 「この、あつあつなのがうまいんじゃ」 と何度力説されたことでしょう。 また、旬の食材や地の物をいただくのは、今や父の生き甲斐になっています。春は近所の山で採れたタケノコやワラビ。梅雨時に漁が解禁になる小イワシ。夏は大栄スイカ、岡山の白桃、三次のぶどう、安浦のいちじく。秋はサンマ。そして冬は倉橋島の牡蠣。どれも、 「ああ、うんまい!」 と相好を崩して食べ、 「また来年もこのうんまいのを食わんといけん」 と今後への意気込みまで語ります。
「うんまいのう」は平和のしるし
「食いしん坊」という一言では片づけられない、この異常なまでの食への執着心。これは父が青春を、戦争中の食べ物のない時代に過ごした影響が大きいのではないかと、私はにらんでいます。 父は今も口癖のように言うのです。 「腹が減るほどさえんことはないわい」 「さえん」というのは広島弁で、悲しいとか辛いとか残念とか、いろんな否定的な感情が混ざった言葉です。陸軍に召集されたものの体が貧弱で戦地行きを免れた、落ちこぼれ兵の父にとって、軍隊生活で一番辛かったのは空腹だったそうなのです。 「何か月もカボチャばっかり食うた。そのカボチャも、今みたいに甘うてほくほくしとるんじゃないんよ。筋張って何の味もせん代物じゃ。それを毎日、何も考えんと腹に詰め込むんよ。食わにゃあ飢えるけんの」 私には想像もつかないひもじさです。 思えば、寝たきりになった母に胃瘻を造ったのも、「おっ母にもう、あの頃のひもじい思いをさせとうない」という父のたっての希望からでした。 戦争は、父の人格形成に大きな影を落としているんだろうなあ……。 今日もチャーシュー麺を無心にすすり、 「あっついのう。うんまいのう」 と食べる喜びを爆発させる父を見ながら、「うんまいのう」は平和のしるしなんだな、と厳粛な思いにかられる私です。 信友直子(のぶとも・なおこ) 1961年、広島県呉市生まれ。父・良則、母・文子のもとで育つ。東京大学文学部卒。テレビ番組の制作会社勤務を経て独立、フリーディレクターとして主にフジテレビでドキュメンタリー番組を多く手掛ける。2009年、自らの乳がんの闘病記録である『おっぱいと東京タワー~私の乳がん日記』でニューヨークフェスティバル銀賞、ギャラクシー賞奨励賞などを受賞。2018年に初の劇場公開映画として両親の老老介護の記録『ぼけますから、よろしくお願いします。』を発表し、令和元年度文化庁映画賞文化記録映画大賞などを受賞。2022年には続編映画も公開した。現在は全国で講演活動を精力的に行っている。
信友直子