事務所はクビ、コンビも解散「これでダメなら路上生活かと」スギちゃんが17年間の下積みを経て「ワイルドネタ」にたどりつくまで
骨折した日は病室で泣きましたよね。「俺の人生何だったんだろう。17年間も下積み生活したのに、たった数か月働いて終わる。セミか?」って(笑)。 病室でテレビを見ていると、俺が出るはずだった番組にサンミュージックの芸人が代わりに出てくれているんですよ。それを見たときも「これ、本当は俺が出ていたのにな」って。もう半年もテレビに出られないなんて、俺はもう終わった、って思っていました。 ── でも、半年を待たずに復帰しましたよね?
スギちゃん:そうなんです。入院していた病院が自然治癒を勧めているところで。全治半年と言われたんですけれど、別の病院のボルトの名医を紹介してもらって、3週間くらいで復帰しました。番組スタッフさんと病室で打ち合わせしたりしていましたね。復帰早々、コルセット巻いて『田舎に泊まろう』に行ったりして。 ── それは大変でしたね…! スギちゃん:ただ、これがまたおもしろいもので、俺は当時数か月しかテレビに出てなかったのに、田舎の方のおじいちゃん、おばあちゃんが「ケガしたGジャンの子やんか!」と、ウェルカムな感じで受け入れてくれたんです。ケガの功名、じゃないですけど(笑)。
ご高齢の方ってあんまりお笑い見ないじゃないですか。だから、若手芸人が認知されることって難しいんです。でも、あの事故がニュースになったので、「Gジャンを着た子が骨折した」と覚えてくれてたんですね。 ── 先日最終回を迎えた『迷宮グルメ』でも、世界のいろいろな方に助けてもらっている姿が印象的でした。その原型が当時築かれたんですね。 スギちゃん:確かにそうですね。骨折を経て、人のありがたみを知ったところはあります。それまでは、他人に毒づくような人間だったんです。『R-1』で準優勝させてもらって、仕事も楽しくて、でもまたどん底に落ちて…っていうのを経て、みんなに感謝できる人間に変わりましたね。人のことを悪く言わないようにはなりました。
PROFILE スギちゃん 1973年、愛知県生まれ。95年にお笑い芸人として活動開始、2012年「ワイルドだろぉ」の決め台詞で『R-1ぐらんぷり』にて準優勝を勝ち取りブレイク。プライベートでは2児の父でもある。 取材・文/市岡ひかり 写真提供/スギちゃん
市岡ひかり