事務所はクビ、コンビも解散「これでダメなら路上生活かと」スギちゃんが17年間の下積みを経て「ワイルドネタ」にたどりつくまで
── ブレイクのきっかけにマリエさんが一枚かんでいたなんて…。 スギちゃん:あ、いや、これでブレイクは無理で(笑)。「おっぱい先生」っていうキャラだったんですけど、それでちょっと人気が出て、おっぱい先生の曲でメジャーデビューすることになったんです。「事務所に入らないとCDが出せない」ということで、番組の制作会社の系列事務所に入れてもらいました。ただ、気づいたらその番組も終わり、事務所からは「もういらない」と出されることになってしまって(笑)。
ピンでやってもダメだった、さあどうしようか、と。でも俺、前からサンミュージックってやさしい事務所だと聞いてたから「自分に合うんじゃないか」って思っていたんです。だから「サンミュージックに入ってダメだったら、今度こそ辞めよう」と。 それで、「アイドルスギちゃん」というネタを引っさげてサンミュージックに入りました。でも、だんだんそのネタも飽きられ始めて。「このままじゃヤバイ」と考えたのが、ワイルドなアイドルスギちゃん「ワイドルスギちゃん」だったんです。
■38歳のおじさんがノースリーブのGジャン姿でブレイク ── ワイルドネタ誕生の瞬間ですね。 スギちゃん:事務所のライブで「アイドルは卒業だ。ワイルドな部分を見せていくぜ」とワイルドエピソードを言ってお客さんに「ワイルドだろぉ?」って聞いたんです。そしたら、めちゃくちゃウケたんですよ。そこで、俺も事務所の人も「あれっ、アリじゃね?」となって。 最初はまだGジャンではなかったんですけど、それまでほとんど落ちていたオーディションにちょこちょこ受かり始めたんです。それで、ノースリーブのGジャンに変えたら、ことごとく受かるようになって。
── いつネタが完成したんですか? スギちゃん:2011年11月ごろにでき上がりました。レッドカーペットや特番にも出してもらえるようになって、2012年の『R-1ぐらんぷり』では準優勝しました。そのときは、ワイルドネタができ上がってから4~5か月しか経ってなくて。できたてホヤホヤで勝負できたんです。正直、あのとき『R-1ぐらんぷり』でいい結果が出なくて、もう1年やってたら多分ダメでしたね。当時は自分自身もネタに飽きていなかったし、楽しくてしょうがなかったんで。