ゲイであれ、ビアンであれ、ノンケであれ、誰もが集える桃源郷を
42歳を迎えた岸田さんは突然胃ガンを告知される。両親へ伝えると、2人はすぐに飛んできた。当時付き合って4年、すでに同棲をしていた岸田さんのパートナー・カズマサさんとも初めて病室の中で対面することとなった。 「入院中はぜひうちに泊まっていってください」。カズマサさんは両親を2人で暮らすマンションに招待した。以後10日間にわたり、お酒を飲んだり、写真を一緒に見たり、語り合う場を設けた。カズマサさんの真摯な人間性に触れた両親は、仲良く暮らす2人の間には、異性愛のそれと何ら変わりない穏やかな時間が流れていることが理解できたのだという。それからというもの、父は2人の関係、はたまたその友人であるゲイやレズビアンの人々の姿を見て「時代は確実に変わっている」と確信をしたり、母は自発的に同性愛関係の本を読むなどして、積極的に2人のことを理解するように努めたのだという。 「病気になったことはつらかったけれど、それがあったからこそ両親と分かり合うことができました。身を以て、どんなネガティブなことにも意味があるんだなと感じましたね」 同性愛者として生まれたこと、芸術に寛容な両親からの多大なる影響を受けたこと、映画に熱中したこと、AV業界で経験したこと、大切な性的少数者の仲間達との出会ったこと、ゲイバーを開いたこと、そしてなによりも最愛のパートナー・カズマサさんに出会えたこと……。全ての経験が色濃く、それらがつながり合うことによって現在の自身が存在している。 「自分を誕生させてくれた両親に心から感謝をしています」 何気ない一言であったが、岸田さんにとっては重い言葉なのだと感じた、とある休日の夕暮れだった。 (取材・文・撮影/ 藤元敬二) ※注1) 日本の元AV女優でありタレント。半自伝的小説『プラトニックセックス』(2000)がベストセラーになる。08年、肺炎により死去。 ※注2) ”男と男を、ゲイとストレートを、文科系と体育会系を、そして人と人をつなぐ架け橋のようなお店”をコンセプトに、マスター・岸田光明さんが07年9月に新宿2丁目にオープンしたゲイバー・Bridge。 ※注3)1980年荒戸源次郎氏によって生まれた製作、配給、興行(専用映画館)を一体で行われた映画会社。鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」が有名。 ※注4) ゲイの自己表現とパートナーシップを応援できるようなスペースにしたいと、マスターであり芸術家の大塚隆史さんが1982年・新宿にオープンしたゲイバー。