ゲイであれ、ビアンであれ、ノンケであれ、誰もが集える桃源郷を
還暦が迫り、様々な人生経験を重ねたわりには、子どものような純粋な笑顔をもつ人。それが岸田光明さん(58)の印象だった。若き日は映画製作・映像制作業界に身を置き、タレントの飯島愛(1972~2008、※注1)などの発掘にも携わった。 その後、50歳を迎えた頃、新たなステップとして新宿2丁目にゲイバー(※注2)を開店。店は今年で9周年を迎える。芸術に理解のあった両親の影響で幼少の頃から映画や音楽、ミュージカルなどの芸術を好み、現在でも毎年2回はニューヨークやヨーロッパに鑑賞に出かけていく。 プライベートでは20年間連れ添う同い年のパートナー・カズマサさんと都内のマンションで暮らしている。
「人と向き合うとき、年齢はあまり関係ありません。敬語を使う使わないという習慣的なことはあるかもしれませんが、人間としては常に平等に向き合いたいと思っています」。日曜日の新宿2丁目、20代や30代と思われる若き性的少数者たちで賑わう午後のカフェで、仕事前の岸田さんと話をしていた。 「ゲイであれ、ビアンであれ、ノンケ(異性愛者)であれ、女性であれ、すべてのトランスジェンダーであれ、まったく関係がなく、集える場所こそが桃源郷。僕はそういう店をめざしたいと思っています」と語るそのポリシーは自身で経営するバーにも如実に表れている。年齢や体格、国籍、性別での入店制限を設けることの多い日本のゲイバーだが、岸田さんの経営されるバーでは全ての垣根を取り払い、来るものを拒まない。
1957年、カトリックであった両親の長男として大阪に生を受けた。もともとほかの男性と結婚をしていた岸田さんの母であったが、度重なる夫の家庭内暴力に堪えきれなくなり、離婚を決断。実家のあった岐阜県に子どもたち(元夫との間に生まれた二人の息子)を連れて戻る。その後化粧品会社に就職し、研修で向かった東京で出会ったのが、たまたま九州から同じ研修で東京に出てきていた後の夫、すなわち岸田さんの父となるその人だった。 「僕が子ども達の父親になるから心配はしないで」 父は母の苦況を理解し、包容した。2人は周囲の反対を押し切って、夜逃げ同然で大阪へ向かう。そんな新天地で、両親の暖かな愛情の下に誕生したのが岸田さんだった。 「両親は深く愛し合っていたし、それが子どもであった僕にも伝わってきました。その愛情は、今でも僕の核になっていると思います。もし人生で後悔することがあるとすれば、そんな両親たちのように子どもを育て、愛情で包んであげることができなかったことかもしれませんね」 寡黙で病弱だった幼少期、性の芽生えは早かった。5歳の頃、当時流行っていたアニメ・鉄人28号の中で、主人公の正太郎くんが鉄人を助けるために海に飛び込む瞬間に服を脱ぐ。幼い少年の頭からそのシーンはこびりついて離れなくなった。翌日、幼稚園のお絵描きの時間に、みんなが鉄人28号の絵を描いている中、一人正太郎くんの裸を描いていた。人と違うと感じざるを得ない日々、一人の世界に閉じこもり、父から与えられた本や映画、そして音楽の世界に入り込んでいった。周囲からは女男とも呼ばれたりした。