「狐憑き」「悪いものがついている」トゥレット症への差別・偏見に当事者が訴えたいこと
トゥレット症は、自らの意思に反して声が出たり、身体が自然に動いてしまう疾患だ。トゥレット症当事者である酒井隆成氏は、病に対する地方と首都圏の認知格差や教育機会が不足していると指摘する。病気を持っていても幸せになれる社会を実現するために必要なこととは?※本稿は、酒井隆成『トゥレット症の僕が「世界一幸せ」と胸を張れる理由』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 自分は病気を抱えているけども 幸せに生きられる方法はある トゥレット症の当事者は、身体に症状が出る部分以外は、思考がクリアで、自分がやりたいことはだいたいできる人も少なくありません。頭の働きは健常者とほとんど変わらないがゆえに、自分の病気を受け入れられない人が多いのも事実です。 「自分はもっとできるはずなのに、どうして……」と。 僕自身、昔は「自分はトゥレット症という病気だとみなされているけれども、普通の人と何ら変わらないし、一緒だ」と思っていました。 でも、いまにして思えば、そう思うこと自体が、病気に対する一種の差別偏見のようなものだったのかもしれません。本質的には、病気があろうがなかろうが、その人が幸せに生きられているのであれば、それ以外の部分はとても些末なことだと僕は思うようになったからです。 なぜなら、そう思わないと、「病気があったら幸せになれない」と認めることになってしまうからです。 でも、病気があったら幸せになれないなんてことは絶対にないはずです。どんな病気を持つ人であっても、幸せにはなれる。だから、昔のように無理して「自分はこういう症状はあるけど、ほかの人と変わらない普通の人間だ」と無理に思い込むことはやめました。
いまは自分に病気があっても、幸せに生きられる方法を見つけたと思っていますし、今後の人生でもその方法を模索していきたいと思っています。 もしも、いまトゥレット症の病気が受け入れられないという人は、まずは病気との折り合いをつけるところをめざしてみてください。 そのためにも、僕をはじめ、いろいろな病気の当事者が社会で活躍して幸せに生きていることを、ご本人はもちろんその家族の方にもどんどん知ってほしいです。 そして「病気があったってこんなふうに幸せに暮らしている人もいるんだから、自分だって大丈夫だ」と思える空気が広がってほしいです。 ● トゥレット症の認知度における 首都圏と地方との大きな差 どんな病気があっても、自立して、やりたいことをめざせる環境を作ること。 そのために、まず大切なのが、多くの方に病気の存在を認知してもらうことだと僕は思っています。おかげさまで、東京などの首都圏では、トゥレット症という病気を知って、理解してくれる方の存在がどんどん増えています。 ただ一方で、地方におけるこの病気に対する認知度の低さは課題です。突然動き出したり、叫び出したりするトゥレット症の症状は、見慣れない人の目からすると、極めて異常なものに映ります。