なぜ中学受験の勝者が大学進学で失敗? エスカレーターで転んだ人の「驚きの末路」
「これで明治大学ってことにいけるんだ」と安堵
石井「テストのたびに成績が落ちて、最後はもう、真ん中ぐらいのクラスになりましたね。成績が落ちていくギリギリのところで中学受験になって、明大附属中野になんとか合格しました。当時の実感としては、フワッと受かったという感じでした」 フワッとした感覚の一方で合格し安堵の気持ちもあった。 石井「これで、明治大学ってとこに行けるんだって思ったんですよね。世間一般的には高学歴の部類に入る学校に、何もせず俺は行けるんだって」
中学入学後の「キャラ変」で人気者になる一方で忍び寄る危機
小学校時代は塾と習い事に明け暮れていた石井さん。明大中野中学に入学し、すぐに挑戦したことがある。 石井「入学したら『キャラ変』をするって決めてました。小学校6年間の周りから見た僕は、運動も勉強もそこそこできて人気者みたいな存在になっていて。優等生でいることは少し押さえつけられてるような感覚がありました。 例えば、休み時間に何をするかっていうのもみんなが僕に聞く。そして僕が決めたことをみんながする。そんな立ち位置だったので、周りからいじられることもあまりなくて、いじられたいなっていう思いがあったんですよね」 石井「キャラ変するには、メンバーが変わる今(中学入学)がチャンスだと思って、めっちゃ馬鹿なことを自分からして、ちょっと馬鹿にされるように振舞ったりしましたね。 例えば、僕がポケットティッシュをわざと折りたたんだまま、使いづらそうにする。『いやそれ開いて使うだろ!』『え!? 開けんの!?』『マジかよこいつ!』みたいな。そんなことばかりやってました。笑」 中高の6年間、いわゆる「いじられ人気キャラ」として楽しい学校生活を送ったが、その裏で大学進学への危険信号が点灯していた。
「内部進学に必要な評定は10.1」教師が示した異次元の数字
中学受験の時、成績が落ちていくなかギリギリで明大中野に合格したと公言する石井さんだが、中学入学後も6年間は一切勉強をしなかったと話す。 石井「テストの前になると『今から勉強頑張ろう』グループLINEみたいなのができるんです。クラスのみんながそれぞれに勉強して、休憩がてらに『今何勉強した?』みたいなこと書き込むんですけど、僕だけはそのトークルームに一度も現れない。そんな感じで僕は一切、勉強してなかったです。笑」 特に高校の3年間は、連続クラス最下位。高校2年時には、明治大学に進学できないことが宣告された。 石井「高2の時の三者面談。先生から僕の成績を見せられて、『明治大学に進学するための評定最低ラインになるには、次のテストで評定で10.1を取る必要があります』って言われました。 それって、つまり『もう無理』ってことで、たとえ全部100点とっても評定は10.0なので、内部進学では明治大学には行けないってことだったんです」 当然ながら両親は頭を抱えた。 石井「内部進学できないとなると一般試験で受験という道を選ぶことになります。親からは受験勉強をするように言われましたが、気にせず部活の野球の練習に打ち込んでました」 当時、すでに将来は芸人になると決めていたこともあり、明治大学に進学できないという状況にショックを受けることはなかった。 石井「中学校ではいじられキャラで、何かやってみんなが笑ってくれたら嬉しかったんですね。だから中学校3年生の時点でで『芸人になろう』って決めて。そっからはもう、自分に起きる全てのことは『エピソードになるかどうか』っていうことだけを考えるようになってました。笑」 その言葉の通り、石井さんが所属するYouTubeチャンネル「僕らの別荘」では、小学生時代からの受験などに関するエピソードトークで人気を集めている。しかし、当時は両親に芸人という夢をすぐには受け入れてもらえなかった。 石井「将来芸人になるって親に告げたら、『逃げるな』ってことを言われたんですよ。『今やらなきゃいけない勉強から逃げてるだけ』と言われたときに、確かに一理あるなって僕も思ったんですよ」