なぜ中学受験の勝者が大学進学で失敗? エスカレーターで転んだ人の「驚きの末路」
学習ゼロなのに世界史を予備校で選択した「前向きな理由」
両親の『逃げるな』という言葉を受け止め、今やるべきことに向き合うことを決めた。 石井「受験勉強をして大学に入って、その上で芸人になるって言おうと思って、1年間浪人をしました」 浪人中は河合塾に毎日通い、勉強に励んだ。ここでも”石井さんならでは”の選択をし、両親を心配させることになる。 石井「当時、浪人生は社会科目の暗記が先に進んでいて有利だと言われてたんですけど、僕は、高校で選択していなかった世界史を選択したんです。理由は、絶対この先、勉強する機会がないと思ったから。世界史を学びたいと思ったんですよ。ゼロからのスタートだったのでずっと勉強してました」 周囲の心配をよそにセンター試験で専修大学に合格し、結果を出すことができた。 石井「センター試験の結果で『受験して大学行けるんだ!』って感動しました。というのも明大中野で内部進学した友達も一般の入試は受けてないわけで、『俺は入試で大学行ける!』って思ったら嬉しくなってしまい、センター後は勉強しなくなりました。あとで少し後悔しましたが、ここで頑張れなかった僕はやっぱり勉強は向いてないなって気づくこともできました」 早慶を含めいくつかの私大を受験したが、最終的には東洋大学に入学した。 石井「大学には、学生お笑いという世界があって、各大学が連携して大学生で一番面白い人を決めたりするってことを知っていたので、大学生になったら『お笑いサークル』に入ろうと決めていました」 そう決めていた石井さん。東洋大学生ではあったが明治大学のお笑いサークルに入部することになる。
ラランド・サーヤともコンビを組んだ大学生時代、そして中退
石井「お笑いサークルでは、かなりの回数のライブをやりましたが、それでプロですって感じじゃなく、あくまで遊びで。Aさんとも組むしBさんとも組む。ピンでやりたければ一人でやりますし。いろいろとできる楽しさがありました。大学同士の繋がりも強かったので、僕は東洋大学だけど明治のお笑いサークル入ったんですよね。笑」 かつて明治大学への内部進学に失敗した石井さん。しかしなんと他大学生でありながら、最終的に明治大学のお笑いサークルの部長に就くという驚きの伏線回収を見せる。 石井「正式にはインカレじゃないんで、僕が部長なっちゃいけないんですよ(笑)。なんで、名義だけの明治の学生の部長を立てて、実権は僕でという感じ。決めごとをしたり、箱(会場)を毎月押さえて、ライブをしたり。そういう例は僕が初めてでした」 東洋大学にはほぼ行くことはなく、大学生活の大半を明治大学の和泉キャンパスにあるお笑いサークルの部室で過ごしていた。当然ながら、東洋大学での単位は取れず...。 石井「時間かけて履歴書を汚しただけなんですよ僕(笑)。1年生の単位が取れてなくても自動的に2年生にはなれるんで、2年生が終わる時に中退しました。大学を辞めるのと同時にお笑いサークルも辞めました」 その後NSC(NSC吉本総合芸能学院)に入り、芸人への道を突き進んだ。 石井「同期がラランド、令和ロマンの髙比良くるまで。学生時代にはサーヤ(ラランド)ともコンビ組みましたし、今も一緒に仕事する機会もあり、みんなの活躍は嬉しいですね」