野球に未練は「ないですね」…大学ジャパン主将も経験“元・楽天ドラ4選手”がナゼ教育学の准教授に?「野球じゃなくても教えるのが好きなので」
引退後は高校で国語の教員経験も…
さらに同時期、大学院を卒業した縁で明星大で体育、もうひとつの母校の明治大OBから紹介された多摩大聖ヶ丘高校で国語と、非常勤としてこの3校で授業を受け持つこととなった。 それぞれ1週間のうち1コマから3コマと担当は少ないが、3校を掛け持ちとなると常勤と同じくらいの仕事量となる。 「最初は野球をやってきたことを生かせませんでしたね」 西谷が新米教師だった時代を回想する。 「体力的なところとか、仕事をやり続ける根性みたいな部分は生きるんですけど、それ以外となると野球とは違いますよね。先生の仕事というのはリスク管理が重要で、例えば授業の準備をA、B、Cの3パターン用意しておくとか。そういった知識がゼロだったので、ひとつずつ根気強く仕事と向き合って、理解を深めながら覚えていった流れでした」 非常勤講師として2年間、経験を積んだ西谷は、13年に立正大の法学部で専任教員として採用された。言うなれば、教師として「昇格」を果たしたわけだが、同時に「元プロ野球選手」の肩書も生かせるようになった。 立正大といえば、大学屈指のレベルと言われる東都大学リーグで2度の優勝、明治神宮野球大会でも2度の日本一を誇る強豪である。そして、来年から西武を指揮する西口文也など多くのプロ野球選手も輩出している。 教鞭を執る一方で、臨時コーチとして野球に携わる。西谷が指導したなかには、日本ハムの黒木優太、楽天の小郷裕哉、伊藤裕季也ら、プロ野球の世界に身を投じる選手もいた。高校時代に「野球の指導者になりたい」という動機から教師を志すようになった西谷にとって、これ以上ない環境だったはずだ。
野球に未練は…「ないですね」
ところが18年。法学部の准教授に昇進した西谷は、大学から「授業に専念してほしい」と頼まれ、すんなりと受け入れている。 率直に思う。未練はないのか? 「ないですね」 あっさりと即答した西谷が、理由を述べる。 「野球の指導者を目指すところからスタートしたのは間違いないですけど、実際に教師として仕事をさせてもらうようになって、俯瞰して教育の現場を見ていくうちに、教育への興味が日に日に増していく自分がいるんですね。『学生に教える』ことが好きなので、野球じゃなくてもいいんです」 法学部法学科の准教授となった西谷の専門は教育学と大学教育。1年生にはレポートや論文作成の手法を教え、2年生になるとフィールドワークを中心とした、より実践的な文章教育を組み込んでいくのだという。 「法学部でありながら、私のゼミは<社会学・教育学>がテーマで……」と笑う西谷の授業スタンスにはこだわりがある。前述のフィールドワークに象徴されるように、座学を滅多にしないことだ。 教育工学や教育設計に基づき、自身が教える方法が「正しい教育なのか?」と研究していくという西谷は、ゼミ生に行動を促す。 「ゼミとは本来、座学や研究が主目的であり大事ではあるんです。でも私は、違う方法で研究していきたいんです。フィールドワークで言えば、誰かに会い、どんな仕事をしているのか話を聞く。そこでの成果を持ち帰って発表させ、『これも研究のひとつなんだよ』と。今はそういうアプローチで教えています」 立正大の専任教師となってから、西谷は「文章」をテーマとした論文を定期的に発表している。そのことからも窺い知れるように、今や彼は完全なる教育者である。 高校時代から常に先を見据え、現実的な行動に移し、「プロ野球選手」と「教師」という大きな目標を達成した。そんな西谷だからこそ、「これから」が気になる。
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