寒い季節にぴったりの日本酒は?肉料理と合わせてほしい“濃醇×フレッシュ”な新しい味わいの純米酒
文=加藤恭子 撮影=加藤熊三 写真提供=原酒造 ■ 新潟の新米「葉月みのり」をほぼ削らずに仕込む 【写真】2007年7月に発生した「中越沖地震」により、明治時代の大火後に再興した蔵は見る影もなく全壊。震度7の柏崎市は、甚大な被害を受けた。 ぴちぴちと細やかな泡がかすかに弾けるフレッシュ感と、熟した晩秋のぶどうにも似た控えめな甘い香り、力強い濃醇ボディーが驚くほど調和する。田んぼの風景を思わせる穀物の香りと豊かな酸味は、ていねいに造られた純米酒ならではの心地よさ。 毎年、初秋に絞りたてが出荷される「越の誉 90YELLOW(キューマルイエロー)」を造っているのは、新潟県柏崎市の原酒造。米をほとんど削らずに仕込む純米酒で、精米歩合は飯米とほぼ変わらない精米歩合90%。酒米ではなく、まだあまり聞きなれない「葉月みのり」という、新潟生まれの食用米を原料としているのもユニークなところだ。 ■ ビーフシチューにぴったり! “濃醇×フレッシュ”な純米酒 「微発泡の爽やかなガス感がありますから、しっかりした脂分のある肉料理とも合わせやすいですよ。ちょっと意外かもしれませんが、秋冬においしいビーフシチューと合わせるのもおすすめですよ」 そう教えてくれたのは、原酒造の一人娘として生まれ育ち、現在は麹造りを担当している8代目の原彩子さん。1994年生まれの30歳。大学でデザインを学び、東京で仕事をしたあと、2019年の夏、実家の蔵に入った。
■ “極力削らない”。新たな世界の扉が開いた ちょうどその年の秋、初めて正式発売されたのが、この酒のルーツとなった「純米葉月みのり新米新酒」。極早生の水稲新品種「葉月みのり」の本格デビュー前、その醸造試験を依頼されたのが原酒造だった。一度も扱ったことのない、未知の米。なぜ、あえて“米を極力削らない”という選択をしたのだろうか? 「葉月みのりは、ご飯としておいしく食べることを目的として開発されたお米です。量が少なく、貴重だったこともあり、“できる限り、そのまま使ってみよう”ということで精米歩合を90%としてみたそうです」 当初、できあがった酒は荒削りながら、それまでにない濃醇さとすばらしい香味を放った。「これは面白い酒ができた……」。強い甘みを身上とする葉月みのりをほぼ削らずに醸造することで、さまざまな成分が溶け出し、特徴的なうまみや酸味を引き出せることがわかった。 「濃醇なうまみをもちつつ、のど越しが軽やかさで爽やかさも感じる。そうしたところにも重きを置いて、毎年酒質をブラッシュアップさせてきました」 ■ 2度の大規模被災で廃業の危機に立たされた 日本海に面し、のびやかな海岸線が美しい柏崎市。江戸時代後期、この地に創業した原酒造は、「越の誉」の銘柄で柏崎を代表する酒蔵となった。しかし、これまで2度の大きな災害により、存続の危機に立たされた。1度目は、明治44年(1911年)の「柏崎大火」。強い海風に煽られた炎によって、町は壊滅的に焼き尽くされ、原酒造店の建物も全焼。すべての財産を失ったものの、4代目蔵元・原吉郎と蔵人たちの情熱によって再興された。 2度目は、2007年7月に発生した「中越沖地震」。柏崎市は震度6強の地震に見舞われ、甚大な被害を受けた。明治時代の大火を乗り越え、先人たちによって建てられた蔵は、見る影もなく全壊。当時、中学生だった彩子さんの記憶に、その光景はいまも刻まれている。 「2本あった煙突のうち、古い煉瓦の煙突のほうが蔵に倒れ、貯蔵タンクも瓦礫に埋もれていました。子どもながらにショッキングだったことを覚えています」 ■ 「絶対に再起する!」という7代目の思いが全員を牽引 仕込みシーズンではなかったため、従業員に死傷者が出なかったことは不幸中の幸いだった。彩子さんの父、7代目の原吉隆さんはすべてを失った状態から全員をまとめ、その年の冬にはプレハブの麹室をつくり、酒造りを開始。1シーズンも止めることなく、かろうじて酒の出荷を続けた。 「あのような状況のなかで、“こんなときこそ、絶対に質の悪いものは出さない”“出荷を止めない”という強い気持ちで取り組んだ父、蔵人全員の情熱はやはりすごいと思いました。先人たちの酒造りにかける思い、この土地の歴史も深く感じていただけるような、そして人に寄り添えるお酒を造り続けたい、といまは考えています」 200年の歴史をつなぎ、新しい酒造りに挑戦していきたい。彩子さんはそう語る。
加藤 恭子