「障害を生む環境なくす」デフリンピックを応援、デフサッカー前代表監督・植松隼人さん
自身が主宰する年少から中学3年までのサッカー、フットサルスクール「サインフットボールしながわ」では、音声での「おしゃべり」に掛けて「聴こえない子と聴こえる子も一緒に手話べりする空間」を掲げ、子供たちは垣根なくともにプレーしている。タイの子供たちとの交流も行っており、国籍や特性を越えてコミュニケーションを取り、楽しむ場を作っている。
今大会で100周年を迎えるデフリンピック。都内や近隣県で21競技が開催され、五輪にない種目もある。デフリンピックが果たす役割の一つは「言葉のバリアフリー」だとし、聞こえない人のためのものではなく一言語である手話に多くの人に触れてもらい、選択肢として広がる機会になればと願っている。
「世の中不便だらけ。でも聞こえる人も不便を感じていると思う。いろんな人がいるのは当たり前だが、当事者の視点がない」と、街づくりへの当事者の参画や声の反映の少なさを感じている。
「スポーツが街のヒントになる」と、デフリンピックの会場運営や応援、競技方法、コミュニケーションなどの工夫は、街づくりへ活用できるものがあるのではないかという。
「障がいを生み出しているのは人ではなく環境。聞こえない人、車いすの人、目の見えない人。不便をなくすために一緒にアイデアを出して街づくりをしたい」
挑戦し失敗しても、「良くする方法と工夫は自分の中で考える。考えるだけではなく、すぐ動く」と、その行動力で周りを巻き込む植松さん。「デフリンピックはあくまでも通過点」。誰もが自分にあったやり方で共生できる理想の社会はまだ先にある。その実現のためにまずは「応援の仕方や見る楽しみを体験してほしい」と、認知度120%に向けて奔走する。(鈴木美帆)
■うえまつ・はやと 昭和57年5月生まれ。品川区出身。先天性感音難聴。デフフットサル元日本代表、デフサッカー男子日本代表前監督。聞こえない子も聞こえる子も手話を通じてサッカーやフットサルを楽しむ「サインフットボールしながわ」(同区)を主宰。同区「デフリンピック認知度120%プロジェクト」サポーター。