アフロヘアーのような螺髪、長い難行の果てに阿弥陀様 五劫院 社寺三昧
奈良ではユニークな姿の仏像で広く知られるようになったお寺もある。東大寺の北側に位置する五劫院(ごこういん)(華厳宗、奈良市北御門町)もその一つで、アフロヘアーのようにうず高く重ねられた螺髪(らほつ)(仏の頭髪)が特徴の五劫思惟阿弥陀仏坐(しゅいあみだぶつざ)像(重要文化財)を拝観に本堂を訪れる人が多い。 【写真】五劫思惟阿弥陀仏坐像が安置されている本堂 正倉院付近から家々が連なる中を北へ進むと、間もなく左手に山門(奈良県文化財)があり、奥に立派な本堂(同)が見えた。華厳宗大本山の東大寺からわずか500メートルほどの距離だ。 縁起によると、鎌倉時代に僧・重源(ちょうげん)が中国・宋から五劫思惟阿弥陀仏を持ち帰り、一堂を建てて祭ったのが始まりで、浄土念仏信仰を集めてきた。 五劫思惟阿弥陀仏坐像は赤ちゃんのようにふっくらとした顔で、見ていると幸せな気持ちになってくる。計り知れない長い時間、人々を救うための菩薩行に励み、阿弥陀如来になった瞬間の姿といい、重なった螺髪は長い難行を伝えているという。 渡邊良憲住職は「長い時間の経過を視覚で伝えようとしたのでしょう。修行から解き放たれてほっとされたお顔で、拝観者が優しい気持ちになってもらえれば」と語る。 同様の仏像は東大寺勧進所にもあり、合掌している姿だが、五劫院の像は集中していることを表す定印(じょういん)を手で結んでいる。 重源は、平氏による南都焼き討ちによって焼けた東大寺を復興した立役者だ。京都に生まれ、醍醐寺で密教を学んで、四国や大峰山などで修行。中国・宋に渡った経験も持ち、61歳のときに東大寺復興を取り仕切る大勧進(かんじん)職に任じられると、各地で資金や技術者を集めるなどして、65歳で大仏開眼、75歳で大仏殿落慶を成し遂げ、80代まで寺の復興に力を注ぎ続けた。 重源を供養する五輪塔は五劫院北東の高台にある。一方、境内の墓地には江戸時代に大仏を復興した公慶(こうけい)の五輪塔もある。 「重源上人、そして公慶上人が取り組んだ復興のプロジェクトは阿弥陀仏の長い修行と重なります」と渡邊住職。大仏復興という2人の修行なくしては今日の奈良はなかっただろう。