スティーブ・ジョブズ、ウォルト・ディズニーらから学ぶ「逆境を成功に変える方法」
スティーブ・ジョブズ
もう一人の億万長者である、スティーブ・ジョブズは、専業主婦の母親と自称 「レポマン(差し押さえ屋) 」の父親の養子として、下流中間層の家庭で育ちました。 彼は、リード大学にわずか1年在籍したあと、家庭の経済状況を憂慮して両親には内緒で退学を選びました。 その後、聴講生としてリード大学に通い続けたジョブズは、地元のハレ・クリシュナ寺院で供される炊き出しや缶拾いで小銭を稼いで食いつないだそうです。 1974年にはインドに渡り、7ヶ月にわたってアシュラムで暮らしたあと、カリフォルニア・ベイエリアに戻り、両親宅の納屋で暮らしました。 このような苦難の時期を通して彼を支え、突き動かしたのは、当時大きな変革を遂げようとしていたコンピューターへの強い関心でした。 彼とスティーブ・ウォズニアックが、ジョブズ家のガレージでアップルコンピュータを設立したのは1975年のこと。 アップル社が当初から大成功だったことは周知の事実ですが、設立から10年も経たないうちにスティーブ・ジョブズが自身が創業した会社を解雇されたことはご存じでしょうか。 それでもジョブズは挫けませんでした。愛してやまない会社を解雇されたことについて、ジョブズは晩年、こう語っていました。 当時はわからなかったが、アップルを解雇されたことは私にとって最高の出来事だった。 成功者というプレッシャーから解き放たれ、なにもかもが未知な振り出しに戻ったんだ。おかげで、私は人生でもっともクリエイティブなライフステージに突入したのだから。 2011年に膵臓がんで亡くなったスティーブ・ジョブズの資産は、フォーブス誌によると70億ドル(約1兆1000億円)だったそうです。
ウォルト・ディズニー
最後に紹介するのは、倒産や訴訟なども経験したウォルト・ディズニー。小さな一歩からはじめて逆境を乗り越えた起業家といえば、彼を置いてほかにいないでしょう。 1922年、ディズニーは1つ目の映画スタジオ 「ラフォグラム・フィルム(Laugh-O-Gram) 」を立ち上げ、パートナーとともに短編広告映画を制作、ディズニー初のアニメキャラ 「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット 」の制作に取り組みました。 ところが、ディズニーとパートナーは大口取引のさなかに配給会社に騙されてしまいます。ディズニーは破産申請に追い込まれ、その過程で「オズワルド」の権利を失いました。 新天地で1からやり直すことにしたディズニーは新たな会社を設立するのですが、彼は このときオズワルドに代わるキャラクターが必要だと思ったのです。 そして、「ミッキーマウス」と名付けられたキャラクターが誕生したのです。 Originally published by Inc. [原文] Copyright © 2024 Mansueto Ventures LLC.
永木久美/OCiETe