「常に巨人ファースト」「巨人が中心でほかの球団を支えてやっている」...球界のドン「ナベツネ」逝く、その「往年の功罪」
抱いた強い危機感
「有望なアマチュア選手に渡す小遣いの額も増えていった。そんなことを続けていれば当然、どこかで白日の下にさらされる。巨人を含む複数の球団が『栄養費』名目で有望なアマチュア選手に裏金を渡していたことが公になり、当時オーナーだったナベツネさんも責任を取って辞任する事態となった。 でも、それまでも関係者に渡る裏金もそうだし、少額だけど選手に小遣いを渡すようなことはやっていたから、ああやって膿が出たことで結果的に健全になった」(球界関係者) 逆指名制度に伴ってスタートしたFA制度も“巨人ありき”だったと前出・スポーツ紙担当記者は話す。 「FAは西武にいた清原和博を巨人が獲得するために始めた部分もあると話す関係者もいた。ナベツネさんの思想は巨人が球界の中心でほかの球団を支えてやっているというものだから、常に巨人ファーストで決めていったんだ。 ただし、そのころのプロ野球界は変わる必要があったタイミングであったのも事実。93年はJリーグ元年で、テレビ中継の視聴率でも押されるなど球界全体に強い危機感があった。それはナベツネさんも同様で、より魅力のある巨人を作ろうとしていたんだとは思う」 渡辺さんが読売新聞社社長に就任したのは、最期まで実権を握っていた務臺光雄名誉会長が亡くなった91年。すぐに大ナタを振るっている。 次回記事「球界のドン『ナベツネ』が固執した権力...誰にもできない球界改革の足跡」では巨人、球界を変えた渡辺さんの圧倒的行動力、読売新聞社社長就任時に漏らした意外なひと言などを紹介する。
週刊現代(講談社・月曜・金曜発売)