「仁義なき戦い」脚本家・笠原和夫の幻の傑作「十一人の賊軍」が描く新たな戊辰戦争…なぜ弱き者たちは闘い抜くことができたのか
『仁義なき戦い』シリーズをはじめ日本映画史に刻まれる珠玉の名作を手掛けた脚本家・笠原和夫。彼の遺した幻の物語が遂に映画化される。かつて制作過程で激情のまま葬り去られた「賊」と呼ばれる者たちの死闘の行く末とは――。11月1日より全国公開される『十一人の賊軍』、60年以上の時を経て本作が我々に何を訴えかけてくるのか…公開に先立ち、『なぜ80年代映画は私たちを熱狂させたのか』を著した映画史家・伊藤彰彦氏が語る。 【写真】「十一人の賊軍」場面写真を見る 【十一人の賊軍】舞台は1868年。徳川慶喜を擁する旧幕府軍と、薩摩・長州藩を中心とした新政府軍の間で、鳥羽伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が起きていた。そんな中、旧幕府軍にくみする奥羽越列藩同盟軍を裏切った新発田藩は、捕らえていた11人の罪人に砦を守らせるのだが……。戊辰戦争のさなか、旧幕府軍VS新政府軍の戦いに巻き込まれていく人々の葛藤が集団抗争劇として描かれる。 ※本記事は映画の内容に踏み込むものです。あらかじめご了承ください
作られるべくして作られた映画
パレスチナやウクライナなどで無辜の人々が犠牲になり、日本の地政学的不安が日増しに大きくなる2024年に作られるべくして作られた映画だ。戦争に行くしかない貧しい者が理不尽な戦場でいかに生き延びるか、戦禍に巻き込まれた小国の治者がどのように戦火から町の人々を守るか、という二つのテーマがせめぎ合うアクチュアリティのある時代劇だ。 原作は『仁義なき戦い』(73年 深作欣二監督)の脚本家、笠原和夫が書いた『十一人の賊軍』(64年)。未映画化のまま残っていた幻のプロット(梗概)が60年の歳月を経て、池上純哉脚本、白石和彌監督、山田孝之、仲野太賀主演で映画化されたのだ。興行価値が担保されたベストセラーのコミック、小説の映画化ばかりが相次ぐ日本映画界で、知られざるプロットを映画にするのは稀有なことで、プロデューサー紀伊宗之の試みは暴挙というしかないだろう。 笠原和夫はやくざ映画と戦争映画で、「無告の民(何も主張することなく朽ち果てた者)」と「まつろわぬ者(抵抗し続け帰順しなかった者)」とを描き続けた脚本家だ。その根底には彼の生い立ちがある。 笠原の父親は七回結婚した商社マン。笠原の生みの親は元女給で、彼が4歳のときに、父親が別の女性と懇ろになったため、笠原と妹を残して家を出ていった。笠原を育てたのは元芸者の継母(ままはは)で、彼女は血の繋がらない笠原を愛した。 しかし、継母も父親の浮気が原因で家を出、他家に嫁ぐ。後年、継母が死去したことを聞いた笠原は墓に詣でるが、継母の名前が嫁ぎ先の墓のどこにも刻まれていないことを知り、愕然とした。 このように笠原の生い立ちは複雑で、彼は母親の温もりを知らずに育った。三十歳で脚本家になって以降、笠原は継母のように、墓碑にすら名前が残らず、この世に生きた証が何ひとつないまま世を去った人々、それに悪名のみがとどろき、無念をこらえて死んだ者たちに脚本で光を当てた。