57頭の交雑ザル殺処分 ── “認める倫理と“認めない倫理”の学説
2月に千葉県富津市、高宕山(たかごやま)自然動物園でサル57頭の殺処分を伝える報道がありました。飼育していたニホンザルのうち、この57頭は外来種であるアカゲザルとの交雑種であったことがDNA検査で明らかになったため、特定外来生物法に基づいて駆除したといいます。 保護されるサルと殺されるサル 交雑種57頭はなぜ殺されたのか 3月には大阪府岬町でニホンジカとタイワンジカの交雑シカが見つかり、行政がその対応に乗り出すなど、今後も外来生物とその交雑種は増加していくとみられますが、私たちは特定の生物の駆除や殺処分という取り組みに対してどのように捉えていったらよいのでしょうか。 環境思想論が専門の三重短期大生活科学科・南有哲教授が環境倫理の視点からこの問題を論じます。1回目のテーマは「交雑ザルの殺処分をめぐる環境倫理学説」です。 ----------
千葉県の動物園でアカゲザルとニホンザルの交雑個体が殺処分されたというニュースが、世の中に波紋を広げているようです。私は『朝日新聞』(2017年2月21日付)の報道で知りましたが、普段この種の問題には特に関心を示さないのに、この事態は認識していて、しかも疑問やネガティブな印象を持っている人が、私の身近にも少なくありません。 この問題については、本サイト『THE PAGE』においても龍谷大学の清水万由子氏が社会科学の視点からの詳細な分析を展開しておられますし、またニホンザルのケースも含めた外来種と在来種の種間交雑の問題については、国立環境研究所の五箇公一氏が生物学の立場から簡潔かつ丁寧に解説されています。ですから、この記事においては私が学んでいる環境倫理という視点から問題を考えてみたいと思います。
環境倫理学における「人間中心主義」という思想
そもそも、外来種との交雑個体が殺処分されるべきだというのは何故でしょう? 外来種が人間の健康に被害を及ぼしたり、産業にダメージを与えたり、生態系を破壊して人間の生活環境を大きく変質させるというのであれば、命を奪うことも含めての対処が求められるというのも分かります。しかしアカゲザルの遺伝子が交雑を通じてニホンザルの遺伝子に入り込んだとして、何かわたしたちにとって害があるのでしょうか? そんなことをしてもコストがかかる上に、私たちの心を痛めるだけではないでしょうか? このような考え方は、環境倫理学でいえば「人間中心主義」という立場、すなわち人間を格別に大事な存在として位置づけた上で、自然や環境に関わることを、あくまで「人間の利益」・「人間中心の価値観」においてとらえ、対処しようとする思想です。