「菊池雄星と大谷翔平で免疫ができた」佐々木朗希を圧倒した盛岡大附の名コーチが“女子野球部”の監督に…「3年で日本一」を掲げるワケは?
野球強豪校である「聖光学院」というプライド
なぜなら、彼女たちも聖光学院の選手だからだ。そこに男女はない。男子と同じ「聖光」の2文字を携えて戦うからには、グラウンドで戦う姿を見せつけなければならないのである。 キャプテンの水野心が、男子野球部に所属する兄・裕次郎の背中を見て「聖光で野球をしたい」と門を叩いたように、他の選手たちだって甲子園通算29勝を誇る強豪に憧れて入部してきたことは揺るぎない事実だ。水野が「男子というお手本があるので、自分たちも泥臭い野球をしていきたい」と掲げるのは、チームの共通認識でもある。 だからこそ松崎も、監督として男子の練習を見学させるなど刺激を与え続けるという。 「最初は聖光のユニフォームを着て野球ができる喜びから始まっていると思うんです。それが、だんだん野球の厳しさとか、野球への想いの強さが足りないとか、『簡単なことじゃないんだ』と感じ始めているはずなんです。そういうところをね、自分も経験したことを交えながらもっと伝えていきたいな、と」 グラウンドで松崎が活発に動く。 チームを鼓舞するように声を張り、1プレーずつ丁寧に指導する。ときには選手を集めてゴロ捕球などを実演してみせる。 男子野球部で監督を務めた経歴を持つ部長の遠藤直仁は、聖光学院を全国有数の強豪へと押し上げた斎藤智也の面影を松崎に見る。 「指導している姿なんかを見ていると、斎藤監督に似てますよね。立ち振る舞いなんかもそうだし、声の掛け方とかも。でもやっぱり、情熱が一番かな」 聖光学院は01年夏に甲子園初出場を果たしながら、初戦で0-20の記録的大敗という厳しい現実を味わった。屈辱に苛まれた監督の斎藤は、ここで「甲子園は出て満足する場所じゃねぇ。勝ちに行く場所だ」と決意を新たに立ち上がるわけだが、その翌年に入学したのが松崎だった。そして、3年生となった04年夏に2度目となる甲子園の舞台に立った聖光学院は、初勝利を含む2勝を挙げる。 無名から強豪へ。聖光学院の成り上がりの第一歩こそ、松崎がいたチームだったわけだ。 それから20年。誕生したばかりの女子野球部の監督に松崎が就任する――まるで、導かれるように描かれたシナリオである。
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