能登半島地震…まもなく1か月 行方不明の弟に…兄「何もできない」 妻と娘失った男性が“一番見つけたいもの”
日テレNEWS NNN
能登半島地震からまもなく1か月です。最大震度7を観測した石川県輪島市で、30日、授業が再開された小学校も。一方、いまも行方不明の弟を捜し続ける男性は、「何もできない」と悲痛な思いを語りました。 ◇
土砂や倒木に、のみ込まれた住宅――。 輪島市では、いまも安否がわかっていない15人の捜索活動が続けられています。30日、その様子を見守る、1人の男性がいました。 垣地弘明さん 「早く見つかればなと…。何も、できない。僕にできるのは、こうやって朝行って…その日の結果を聞いて、という毎日です」 垣地弘明さんは、弟・英次さんが、まだ見つかっていません。 弟が安否不明 垣地弘明さん 「優しくて、本当におふくろ思いで。人に優しかったのは、近所の人からもよく聞きますし。避難所でも、『きょうこそ見つかればいいね』と、みんな声かけてくれますし」 スポーツが大好きだったという弟。土砂の中から、子どもの時のアルバムが見つかったといいます。 弟が安否不明 垣地弘明さん 「泥だらけなんですけど、見られるのは1歳~2歳の時の、おふくろがもっていたやつ」 「こう続けざまにあると、ぽかんとしてしまって…。(去年)11月におふくろが亡くなって、まさか弟までこういうことになると。2人兄弟だったので…寂しいですね」 そして、開始から約7時間……30日の捜索が終わりました。 弟が安否不明 垣地弘明さん 「まだ、発見にはいたってないらしいです。目撃情報があったらしくて…土石流が来る前の鉄砲水で、川に落ちたんじゃないかと。早く出てきてくれ、という気持ちでいっぱい」 ◇
能登半島地震の発生から、もうすぐ1か月。 輪島市の楠健二さんは、7階建てのビルが倒れ、妻・由香利さん(48)と長女の珠蘭さん(当時19)を失いました。 健二さんは、家族と暮らした家で、“捜しているもの”があります。 妻と娘亡くす 楠健二さん(55) 「女房の毛布。あと、帽子。若いころ、女房と二人で行って、これをふたつ買ったんです。ミッキーとミニーをね。ずっと飾っておいた…」 車へと積まれていく、家族との思い出……。 ただ、“一番見つけたいもの”が、まだ見つからないといいます。 妻と娘亡くす 楠健二さん(55) 「携帯と、時計が…見つかればいいかな。それだけで、気持ちもっているので。それだけを見つけに来ている。あとは、先に進もうかなと思えるような気がする…。だから、一生懸命見つけてるんだけど、なかなか見つけてくれない。女房が怒ってるんじゃないかと思う、たぶん。見つけられないところに行っちゃったわけだから…携帯も、時計も」 先に進むために――。 いまも、各地で多くのがれきの撤去作業が進められています。 人々が暮らしてきた家も、壊さなければなりません。 ◇ 少しずつ、日常が戻り始めたところもあります。 「おはよう」 「おはようございます」 これまで避難所になっていた輪島市の町野小学校は、30日から授業が再開し、子どもたちも元気に登校していました。
いまも約3900戸(30日午後2時時点)が断水している志賀町では、1か月ぶりに、家の蛇口から「水」が出るようになりました。 「こうやって出ると…水がいかに大切なのか、改めて実感しますね」 (1月30日放送『news zero』より)