考察『光る君へ』23話 宣孝(佐々木蔵之介)が越前に来た!ウニを匙で割ってご馳走する可愛いまひろ(吉高由里子)に「わしの妻になれ」ドンドコドン!
定子の「ありがとう」
清少納言(ファーストサマーウイカ)による、中宮・定子のための枕草子の連載は続いていた。 中宮と清少納言、どちらも真っ白な装い。調度品も同じく白。平安時代は高貴な身分の女性の産所は、お産が近づくと白で統一された。こうした様子は『源氏物語』でも『紫式部日記』でも記されている。 前回の第22話では、中宮・定子と清少納言は鈍色と黒の喪の色に包まれていた。生と死の対比を色で表現する映像が、なんとも美しい。 「そなたが御簾の下から差し入れてくれる日々のこの楽しみがなければ、私はこの子と共に死んでいたであろう」 覚えはないだろうか。連載の小説、漫画を読みたいから、毎週放送されるドラマ、アニメがあるから、来月リリースされる曲を聴きたいから──他人から見たらどんなに小さなことでも、自分にとっては大きな喜びが待っていると思える。それで生きる力をもらったことが、あなたにはあるだろうか。私はある。 定子がききょうに「ありがとう」と礼を述べたこの場面は、エンターテイメントの本質を描く。 この一言の台詞、高畑充希が素晴らしい。ききょうとの初対面から貫いてきた、中宮としての威厳ある発声ではなく、あくまでも一人の女性・定子としての「ありがとう」だった。 お産で死ぬかもしれない。ちゃんと伝えられるのは、このときが最後かもしれない。だから、あえて座り直しての、感謝の言葉だった。 この言葉の響きと、定子が思い出話ができるほど精神的に回復したことに、これまでの清少納言……ききょうの献身を思って泣いた。
居貞親王の心情
居貞親王(木村達成)登場! 「私のことなど忘れたのかと思っておった」 ドラマ内でも、第11話の一条天皇の即位式の時、10秒ほど出てきて以来(少年時代の居貞親王/小菅聡太)全く出てこなかったので、視聴者も忘れていた方が多いのではと思う。 ナレーション「居貞親王は道長のもう一人の姉の子である」 居貞親王は、63代冷泉帝の第二皇子だ。64代円融帝は冷泉帝の弟。65代花山帝(本郷奏多)は、居貞親王の兄である。円融帝の皇子である66代一条帝にとっては従兄弟であり、東宮(皇太子)。…………ややこしいね!! 私たちは、大正・昭和・平成・令和と、天皇の皇子が東宮となりそのまま即位する時代に生きているので、天皇とは当代の皇子が立太子し継承してゆくものと思いがちだが、時代を遡ればこのように、当代の弟が、従兄弟が、皇孫の王子が…….など、次の帝となる人物のバリエーションは色々だったのだ。もちろん、全て血は繋がっているというのは大前提で。 ちなみに、日本では女帝は複数人いるが、女性で立太子、東宮となったのは天平10年(738年)阿部内親王、のちの孝謙・称徳天皇のみである。 居貞親王が道長に、 「(中宮のところでは)産養(うぶやしない)の支度にも事欠くと聞く。何か贈ってやれ」 と命じた。産養とは、赤子が生まれた夜から数えて3、5、7、9日目の夜ごとに親戚、友人たちが贈り物をし、皆で祝宴を開いて母子の無事を寿ぎ、この先の無病息災を祈る儀式だ。『紫式部日記』にも儀式の様子が細かく記されている。現代でも妊娠出産は命がけだが、乳児と産婦の死亡率が共に高い時代。周囲は母子を祈るような思いで見つめていたことだろう。この風習は、今の世にお七夜として残る。 中宮・定子は、関白であった父・道隆(井浦新)も母・貴子(板谷由夏)も既に亡く、兄弟は配流。実家の二条邸は焼失。后が帝の御子を産むというのに、盛大に祝ってくれる人たちはいない。「産養の支度にも事欠く……」は、その悲しい背景を想像させる台詞だった。 定子の子が女子だったので道長の前では余裕の笑顔だったが、生まれる前は息子・敦明親王の将来を憂い、気が気ではなかったらしい。居貞親王は、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に生まれるのは男女どちらかを占わせていた。 晴明「(将来)帝に皇子はお生まれになります」「中宮様の皇子であろうと存じます」 居貞親王の「我が子、敦明親王が東宮になると思うてよいな?」には答えなかった。未来を見通しているらしき晴明の返事は、いつも含みを持たせて謎めいている。