映画『画家ボナール ピエールとマルト』:フランス絵画の巨匠が見た景色、愛した女性
俳優が体現する「変容」とは
マケーニュ 大変だったのは、実物のマルトを描く練習をしたのに、目の前にはセシルがいたことです。2人の顔はほとんど似ていませんから。 ―マルト役のセシル・ドゥ・フランスですね。 プロヴォ 私は当初、マルト役にはもっと髪や目の色の濃い、小柄でセクシーな女性を考えていたんですが、見つからなかった。正直、セシルは考えもしませんでした。プロデューサーから絶対に会うべきだと言われて実際に会ってみたら、とんでもなかった! 彼女が発する光! まばゆいばかりに幸福の輝きを放っていたのです。そこからはまったく疑いを抱きませんでした。とても良い選択でした。 マケーニュ 最初の読み合わせのときにセシルと初めて会って、とても感動したのを覚えています。素晴らしい出会いでした。 プロヴォ 映画は生き物なんです。その場にいるべき人々を引き寄せ、そうでない人々を遠ざける。だから、監督として、そこに敏感でなければなりません。間違った選択をしてはならない。言い方を変えれば、間違った理由で選択してはならないんです。 マケーニュ 僕は舞台の出身で、ギヨーム・ブラック監督によって映画の世界に連れてこられました。彼が『女っけなし』(09)で想定した人物は、ほとんど素の僕だと思われがちですが、実際はかなり違う。役作りについてギヨームとマルタンから同じことを言われたのを思い出しました。「内面の変化をたどってほしい」と。映画監督が僕らに投影しようとするものが、実際の僕らと同じことなんてほとんどありません。でも監督たちは、僕らが役の人物になれることを見越しているんです。そこが映画作家のすごいところだなと思います。 僕はこの「変容」がとても重要だと思うんです。芸術とは、すべて「変容」の結果なんです。映画でも演劇でも、絵画でも同じです。インタビューもそうです。こうして語り合い、新しい視点を与え合って、お互いを変えていくのだと思います。 プロヴォ 今回のヴァンサンを見て、誰もが「ボナールそのものだった!」とたたえる。最初は無理だと言ったくせにね(笑)。いつも大体そうなんです。彼が見事に変身してくれたのを見て本当にうれしかった。私たちの出会いによって「変容」を生み出すことができたのです。