「ワァーッ!私はじいさんに殺される」ガタガタの体で"夫の世話"に明け暮れた90代女性の"地獄の夫婦生活"
■どんなに便利でも、出かけるまでが大変 さらに、両親を説き伏せ、やっと要介護認定が出たとしても、サービス利用がスムーズに進むわけではない。④デイサービスセンターに通い、そこで入浴サービスを利用し、食事サービスも利用する、という提案に対しても、父親が強く拒否。またこの提案に対しては、母親の方も、夫の世話がさらに増えることを恐れ、強く拒否。 【PJさん】「デイに行けばご飯も食べられて、お風呂にも入れるからいいよと、何度も勧めたんです。でも、父は『絶対行かない』、とにかく『嫌』。母も、二人で通うとなると、自分がその支度をしなければならない。 父に服を着せて、自分もデイに行こうと思うと、準備がしんどい、それより、家にいてボーっとしている方がまだ楽なんです。父の『嫌』、プラス、支度が大変なんです。だから、『おじいさんが“嫌”と言うから、行けんわぁ!』と、どんなに勧めてもダメ」 生活の利便性よりも、人づき合いが苦手な父親にとっては自宅が「いちばん落ち着き」快適。だから、拒否。母親にとっても、夫婦で通うことになれば、夫の「通所準備」の世話が生じ、新たな負担となる。自分だけが利用した場合、その間の夫の世話はどうなるのか、それが気にかかる。 こうして、ひとり暮らしの場合なら、本人の選択しだいとなるが、夫婦二人暮らしの場合、それができない。「おじいさんが“嫌”と言うから、行けんわぁ!」と、夫しだいの流れになる。 ■「ばあさんがつくったものがうまい」という殺し文句 しかし、こうしたデイサービス利用以上に強い拒否感、抵抗感が示されたのが、⑦のヘルパーによる家事援助サービスである。 【PJさん】「家事がだんだんできなくなる母のために『ヘルパーさんを入れさせて』と何度父に頼んでも、嫌なんです。人が来るのが嫌なんです。『煩(わずら)わしい』『うるさい』『落ち着かない』って。 それに『ヘルパーがつくったものはまずい』『ばあさんがつくったものがうまい』って。母にとっては殺し文句ですよね、それは。だから、母がしんどいからヘルパーさんには来てもらってつくってもらう。でも、父が食べないんですよ。だから、ヘルパーさんがつくったものは母が食べて、父にはちょろっと自分がつくってやって……」 ここでの「ヘルパーがつくったものはまずい」という食の嗜好は、②配食弁当サービス利用を提案した際にも、「配食弁当は『絶対嫌』だと言うんです。『口に合わない』『食うものが何もない』『自分の好みがない』って」と、拒否されている。 さらに、こうした食の嗜好以外に、自宅内にヘルパーを招き入れることで、馴染んできた生活が乱される感覚から、「煩わしい」「うるさい」「落ち着かない」と、強く拒否される。 その結果、ヘルパーの家事援助サービスを利用したとしても、外部サービス利用に対する父親の強い抵抗感、「妻が家事を担うのがあたりまえ」の役割意識、「夫の決定に妻は従うべき」とする夫優位の夫婦関係に支えられ、どんなに母親がしんどくとも、夫の食事だけは妻としてつくり続けるしかない生活が続いていく。 そんななかでの「じいさんに殺される!」という叫び声だったのだろう。PJさんは母親のこの声を聞いたとき、「在宅生活を続けるのはもう限界だろう」と両親の施設入所を本気で考え始めたのだという。 ---------- 春日 キスヨ(かすが・きすよ) 社会学者 1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専門は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書に『百まで生きる覚悟 超長寿時代の「身じまい」の作法』(光文社新書)、『介護とジェンダー 男が看とる 女が看とる』(家族社、1998年度山川菊栄賞受賞)、『介護問題の社会学』『家族の条件 豊かさのなかの孤独』(以上、岩波書店)、『父子家庭を生きる 男と親の間』(勁草書房)、『介護にんげん模様 少子高齢社会の「家族」を生きる』(朝日新聞社)、『変わる家族と介護』(講談社現代新書)、『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)など多数。 ----------
社会学者 春日 キスヨ