「ワァーッ!私はじいさんに殺される」ガタガタの体で"夫の世話"に明け暮れた90代女性の"地獄の夫婦生活"
■母親は「ヘルパーに来てほしい」と言っていたが… PJさんの話を聞いていくと、身体介護を必要としない場合でも、親の尊厳を重視し、その選択を受け入れながら、在宅生活を長期間支え続けることが、いかに大変なことであるかがわかる。 生活習慣として親が長年馴染んできた食の嗜好(しこう)、生活の快適さの基準、プライバシー感覚などなど、身体感覚レベルにまで関わる親の暮らしの希望のどこまでを受け入れ、どのように支えていくか。 それは親と同居し日常生活を共有する場合とも、また、ひとり暮らしの親を支える場合とも性格が異なる難しさがある。夫婦二人暮らしの場合、妻の方に生活力が何とか残っている間は、夫が「家事と自分の世話は妻がするのが“あたりまえ”」と考え、他からの支援を拒否し、馴染んできた生活を続けていこうとするからだ。 PJさんの両親の場合もそうだった。PJさんの母親の場合、「私がいるのに何でヘルパーを入れるのか」と家事支援を拒むタイプの女性ではなく、むしろ「ヘルパーに来てほしい」と、それを望む人だった。 にもかかわらず、サービス利用に消極的なままの生活が続いていった。それはなぜだろうか? 何が外部からのサービス、支援を排除し、夫婦関係に閉じこもらせ、社会から孤立する方向に向かわせたのだろうか。 ■「家事は妻がすればいい」と語る頑固な父親 その理由を、PJさんが示した①~⑦の提案に対する両親の反応の中から見てみよう。 まず、①「娘家族宅に夫婦ともに同居」という提案に対しては、父親が自宅に住み続けることに固執し、同居を強く拒否。母親は娘の提案には「同意」しながら、拒否する夫に逆らうことができず、断念。 【PJさん】「父が私の家には絶対行かない、死ぬまで行かないと言う。母は行ってもいいと言ったんですが。すると『ひとりで行けばいい。わしはここにひとりでいる』と言うんです。それじゃあ、母は来れませんよねえ。どうしても」 次に、家事負担軽減策として介護保険の家事援助サービス、通所介護サービスなどにつながるための前段階である③要介護・要支援の認定申請という提案に対して。ここでも、当初父親が強く拒絶し、手続きに至るまでかなりの時間を要している。ここにも父親の「人の世話になりたくない」「家事は妻がすればいい」という意識が強く関わっている。 【PJさん】「二人とも90歳前後まで介護保険の認定も取っていなかったんです。だから、『しんどかったら、利用した方がいいのよ。介護保険をかけてきたんだし、それで助けてもらえばいいのよ』、そう言い続けたんです。 でも、人に助けてもらうのは嫌だし、母がいるからいいわと父は思う。母は父が嫌がるから受けられない。その辺を調整するのが大変でした。本当に大変!」