「お願いだからシャワーを浴びさせて」と懇願した日も「AKB48のお姉さん募集」の文字に近藤さや香が描いた幼少期の夢の先
── 秘書のほかに、インターナショナル幼稚園の先生もされていたんですね! 近藤さん:はい。英語で対応できる人が必要だということで、1年弱くらい先生をしたことがあります。子どもが好きなので楽しくやっていたのですが、本当にお給料が低いですし仕事が大変すぎるので、数か月で辞めていく人を目の当たりにしてきました。1日のカリキュラムに沿って保育をしていて、子どもたちにご飯を食べさせなければならないのに自分の食事の時間も設けなければならないし、何か起きたときには対応しなければならないとなると、本当に息つく暇がありませんでした。命を預かっているわけですから休憩時間も普通の会社員とは違いますし、人さえいればシフトは組めるのですが、人材不足でなかなか難しくて。
今担当しているラジオ番組では、いろいろな社会課題に触れたりプロの方にお話を聞いたりしているのですが、私が現場を肌で感じたことがあるというのは、経験としてプラスになっているなと感じています。
■「人生って、なんでこんな数か月ですごいことに」 ── 幼稚園の先生、社長秘書を経てアイドルに。転身の経緯を聞かせてください。 近藤さん:アメリカにいたころは、中学校や高校のスクールバスでは必ずラジオが流れていて、番組に電話をかけてリクエストした曲が流れると、みんなで盛り上がるんです。そんなふうに温かさや話題を与えてくれるメディアに憧れて、ラジオの仕事をやりたいなという思いを頭の片隅に置きながら秘書をしていたら、ある朝、会社でパソコンを立ち上げたときに「AKBのお姉さん募集!あなたがやりたいことのステップアップに!」という文面を見かけたんです。「土曜日の夜だけ芸能活動をします。社会人でもできます」と記載されていたので、もしかしたらSDN48に入ればラジオの仕事に携われるかもしれないと考えて、応募しました。
── オーディションやデビュー後の活動はいかがでしたか? 近藤さん:帰国子女はあまりいないだろうと思っていたので、歌唱審査のときは個性を出すために英語の歌を歌いました。最終オーディションで、レコード会社の方や秋元さんが面接をしてくれたときに「あなたはこのグループに入って何をしたいですか?」という質問に「ラジオです」と答えて、「今の仕事は何ですか?」という質問に「秘書です」と答えたら、ザワザワとして。ラジオや秘書という回答が珍しくておもしろいと思ってもらえたのか、グループに入ってCDデビューしてからは、ほとんどのラジオプロモーションに参加させてもらえました。