「お願いだからシャワーを浴びさせて」と懇願した日も「AKB48のお姉さん募集」の文字に近藤さや香が描いた幼少期の夢の先
アメリカの小学校では、先生がテキストを読み始めるとみんなが床にゴロゴロと寝転がってページをめくったり、教室内のソファーで姿勢を崩していたり、リンゴをかじりながら聞いたりするのが当たり前だったんです。最初は「えーっ!」と驚いたのですが、慣れてくると自分が一番吸収できる態勢で授業を受けることを当たり前だと感じるようになっていて。もちろん、大人になるにつれて姿勢を正していくという教えはあるのですが、みんながきちんと着席してノートをとって講義を聞いて自分で理解するという日本の環境は、今までの環境とは真逆に感じましたね。
耳が慣れていないので、街で流れている音やテレビから聞こえてくる言葉を聞くと、まるで外国にいるかのような感覚になって、しばらくは逆カルチャーショックでした。 そのときにできた友人からは、「さや香って日本語下手だったよね」といまだにネタにされていて(笑)。「あの日本語がヤバかったさや香が、今は日本語で仕事してるの!?」と言われています。
■幼稚園の先生、社長秘書を経てアイドルに ── 卒業後は、就職活動をして社長秘書になったのでしょうか?
近藤さん:学生時代から芸能の仕事を少ししていたので、みんながリクルートスーツを着て面接に臨んでいるときに私も就職活動をしていたというわけではないんです。卒業後はインターナショナル幼稚園の先生もしていましたし、秘書はあくまでいろいろな仕事をしているうちのひとつでした。でもキャッチーだからか、のちにAKB48のお姉さん的グループ、SDN48のオーディションを受けてデビューするときに、秋元さんをはじめ面接官の方々が「社長秘書ね!なるほど!」という感じになって。そこから、元社長秘書という肩書がひとり歩きしたというところもあるかもしれません。秘書の仕事では、時間を厳守することや予定に合わせて逆算することなど、誰かをサポ-トするマインドを学ばせてもらいました。