「都を離れた紫式部」越前国で過ごした1年の心情 雪が降る光景を見ても、心はつねに都にあった
歌のなかにある「小塩」(の松)とは、京都市西京区にある小塩山を指しています。この山の麓には大原野神社があり、藤原氏の氏神が祀られていました。越前の雪を見ても、式部の心を占めているのは、都のことでした。 「日野山に雪が積もっているが、都の小塩山の松にも、雪は舞っているのであろうか」と望郷の念にかられているのです。 ■式部の心はつねに都にあった 式部が住む邸にも雪は降り積もったため、軒先の雪を掻きやり、庭に「山のやうに」積み上げることもあったようです。
人々はその雪の小山に登り「なほ、これ出でて見たまへ」(さぁ、出ていらして、雪山をご覧ください)と式部に勧めたようですが、式部はそのときの想いを「ふるさとに帰る山路のそれならば心やゆくとゆきも見てまし」(故郷の京の都に帰る山路の雪ならば、見にも行きましょうか)と歌に詠んでいます。つれない様子です。 式部はこの歌の詞書に「いとむつかしき雪」(面倒な鬱陶しい雪)と書いています。式部にとって、降り積もる越前の雪は、残念ながら、鬱陶しい以外の何物でもなかったようです。
式部の越前での生活は、1年ほど続くことになるのですが、彼女が、ほかに、この地の風俗や風物を詠んだものは、紫式部集のなかにはありません。何かは詠んでいたはずですが、おそらく、家集を編纂するときに、意図的に外されたのでしょう。紫式部の心は越前にはなく、つねに都にあったのでした。 (主要参考・引用文献一覧) ・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973) ・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985) ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家