「今もやれることを一生懸命」音楽通じ3.11被災地応援 ── 山口洋・矢井田瞳。福島への想い
僕らが何かをやるんではなくて、現地の要請に応える
──活動の中でいちばん印象に残っていることは? 山口洋 最初に決めたことは、“僕らが何かをやるんではなくて、現地の要請に応える”ということでした。(2011年の)5月か6月に、福島のおじいちゃんおばあちゃんから初めて「音楽をやってほしい」と言われたので、「じゃ、俺行くわ」って言ったら、「あんたじゃない、演歌か美空ひばりを呼んで」って言われて。ひばりさんの息子(加藤和也)が俺の親友だったから、頼んでひばりさんの膨大なライブラリーの中から、“お母さんが生きていたらたぶんこういうコンサートをやるだろう”っていう順番に映像を組んでもらって、7月に開催した。俺が前座をやって。よかったですよ、音楽に力があると思ったし。俺がおじいちゃんおばあちゃんの前で演奏するなんてあんまりないじゃないですか。ライブ中におばあちゃんに「ギターうまいぞ」「アントニオ古賀よりうまいぞ」とか言われて。 矢井田瞳 あはははは…… 山口洋 どっちがエネルギーもらってんのかわからないなと。そのとき、音楽を通じて、やる側も見る側も離れて住んでいる人も現地に住んでいる人たちも、ちゃんと気持ちを還流させることができるって確信したんです。僕みたいなものが何ができるのかはわかんないけど、活動を続けて還流し続けていけばいいのかなと。みんな何かしたいと思っているけど何をしていいのかわかってないっていう。そんな全国の人たちの気持ちの受け皿になって…… 矢井田瞳 今の話を聞いていて思ったのは、洋さんとMY LIFEをやっていなかったら出会っていなかった人たちがいっぱいいるなと。行動を起こしてなかったら出会えなかった人に出会わせてもらった。すごいことだなって。 山口洋 佐藤タイジが主宰するTHE SOLAR BUDOKAN(太陽光から生まれた電気でロックする!未来のエネルギー革命へ繋がるスペシャルライブ!!)で、チャボさんのチームがで「MY LIFE IS MY MESSAGE」のタオルを作ってくれて、ステージ立ったとき、おそらく間違いなくヤイコちゃんのファンだと思うんですけど、タオルを掲げてアピールしてくれた。僕はライブでそういうことをされたことがないので、ぐっときて。おじさん最近、涙腺弱いので。チャボさんのチーム、タイジがいてくれなければ、ヤイコちゃんがいなければ、このわかりやすい連帯の感じはなかった。どんなに苦しくてもやんなきゃダメだ、みんなの気持ちが重なってるから、やめますなんてもう言えないって。誰が始めたとか問題じゃなくて、みんなの意志として、たとえは悪いかもしれないけど、僕が死んだとしても続いていけばいいと。