軍事施設だった甲子園、貴重写真で明らかになった「空白期」の姿 「野球の聖地」の別の顔、アメリカ人写真家が神戸市文書館に寄贈
9枚のうち1枚が球場内のバックススクリーンで、残りは全て球場外周で撮られている。いずれも米兵が写り込んでおり、みな笑みを浮かべるなどリラックスした表情だ。 車の制限速度をマイルで示した交通標識や、日本語で「此ノ付近ニ日本婦女子近寄ルベカラズ」との看板が写っていた。占領下だった当時の様子がうかがえる。 ▽戻った球音 戦後、甲子園での中等学校野球(現在の高校野球)は大会関係者による米軍側への度重なる陳情で1947年3月に復活した。グラウンドと観客席のみ接収を解除するいびつな形だったが、甲子園に球音が戻った。米軍による甲子園の接収が完全に終わったのは1954年3月。それまでは接収が続く中で大会が開かれていた。 その後甲子園は再び「野球の聖地」として歩み始める。高校野球では「KKコンビ」「平成の怪物」「決勝再試合」など数々のスター選手や名場面も生まれた。プロ野球でも藤村富美男、江夏豊、掛布雅之、新庄剛志らの阪神勢に、巨人の長嶋茂雄や王貞治ら名選手が躍動した。
野球だけにとどまらず、アメリカンフットボールの大学日本一を決める「甲子園ボウル」や、地元の西宮市の小中学生が運動会をしたり、成人式を開いたりする場にもなっている。「ドカベン」「タッチ」など大人気漫画の舞台としても描かれ、高校野球の応援をするブラスバンドが注目を浴びることもある。 幸い、現在まで再び軍事施設になったことはない。