「歌う尼さん」が闘った子宮体がん 死に直面して気づいた命の大切さ
和歌山県串本町文化センターで19日夜、「歌う尼さん」として全国で活躍するシンガー・ソングライター兼僧侶、やなせななさん(49)の講演とコンサート「いのちと心を伝える愛のうた」があった。町内外からの約300人が、柔らかな歌声や話に聴き入った。 【写真】スクリーンに画像を投影しながら歌や講演を進めるやなせななさん=2024年11月19日、和歌山県串本町の町文化センター、菊地洋行撮影 やなせさんは1975年、奈良県高取町出身。子どものころから歌や音楽が大好きで、作詞・作曲は独学で覚え、2004年に歌手デビュー。10年から生まれ育った教恩寺で住職を務めている。 やなせさんは29歳の時に子宮体がんを発症。医師に子宮と卵巣をすべて摘出する必要があり、「放っておくと死んでしまいます」と告げられた。それまで病気とは無縁。喪失感と絶望、どん底の不幸を味わった。 生きている意味を見失いかけた時、親しい音楽仲間が命を時計の振り子に例えて「動いている振り子を自分で止めてはならない」と、やなせさんをしかった。死に直面した自分が、限りある命を大切にしていなかったことに気付いた。 寺院を会場にして、苦しかった自分の経験を語りながら歌を披露する活動と楽曲のイメージが一致。「歌う尼さん」の「コンサート&トーク」は、全国47都道府県で600カ所を超えている。 やなせさんは、12月14日に串本町で予定されている民間小型ロケット「カイロス」の発射にちなみ、宇宙をイメージさせるオリジナル曲「七夕」や、童謡「夕焼小焼(ゆうやけこやけ)」など8曲を披露した。 やなせさんは東日本大震災の支援にも関わった。長さ50センチほどで、頭や首に巻けない短いタオルを販売して収益金を復興や被災者支援に充てた「まけない!タオルプロジェクト」の主題曲「まけないタオル」を歌った際には、会場から大きな手拍子が送られた。 やなせさんは「人は、いろいろな状況を背負いながら生きるしかない。他人の運命を引き受けることはできないから、支え合って生きていくことが大切」と説いた。 この催しは、和歌山県の「同和運動推進月間」(11月全期間)、「人権を考える強調月間」(11月11日~12月10日)に合わせ、串本町人権委員会が主催した。(菊地洋行)
朝日新聞社