あのカボチャみたいな色がなぜ特別? 「湘南色」とは何者か 日本人が“電車大好き”になったきっかけ!?
最長16両編成で登場
日本は外国と比較して「電車」が発達した国です。欧州では現在も、機関車が無動力の客車を牽引する客車列車が走っていますが、日本で客車列車といえば、蒸気機関車が牽引する観光列車など、ごく一部となっています。 日本で電車が発展したのは、諸外国よりも輸送人員が多いことに起因します。編成内の各部に電動車を連結した列車(電車)は、客車列車よりも加速力で勝り、かつ終点で反対方向に機関車を付け替える必要がないため、折り返し時間も短縮できます。重い機関車を連結する必要もないため、地盤が軟弱な日本の国土にも合致していたのです。 【違和感ある~!?】185系の“湘南色バージョン” めっちゃ派手!!(写真) こうしたことから日本では電車の持つ特性が、1920年代から活用されていました。阪和電鉄(現・JR阪和線)や参宮急行電鉄(現・近畿日本鉄道)は、現代に迫る速達サービスを展開しました。 このように一部私鉄は戦前から電車による長距離運行を行っていましたが、鉄道省や戦後の国鉄では、「電車は長距離列車向きではない」という考え方が主流でした。吊り掛け式電動機で騒音・振動が大きい当時の電車は快適性が低く、特急などの優等列車には相応しくないと考えられていたのです。 その一方で、線路容量が逼迫していた東海道本線では1948(昭和23)年、「湘南列車」と呼ばれていた東京~沼津間の客車普通列車を電車に置き換える構想が持ち上がります。電車なら所要時間を35分程度短縮でき、客車急行と同じ到達時間になることで、列車本数が増やせると見込まれたのです。 同区間は126kmあり、国鉄としては初めて本格的な中距離運行する構想でした。1950(昭和25)年に完成した80系電車は、乗り心地に優れた新型台車のほか、列車の先頭から最後尾までブレーキを効かせる電磁自動空気ブレーキを初採用したことで、在来線最長の16両編成での運行を実現しました。
「オレンジと緑の電車」はすごい
80系は、運転台を電動車に設けていた慣習を取っ払い、電動車を中間車に設けることで定員を増やします。従来の客車のようにデッキ付きのボックスシートやトイレを備え、外観もオレンジと緑の塗装「湘南色」としました。以降、この湘南色を採用した電車が多数、登場します。ここでは東海道本線の系譜を追ってみましょう。 80系は好評で迎えられ、増備されました。当初は京都鉄道博物館の保存車両のような正面3枚窓でしたが、2次車から採用された、正面2枚窓スタイルは「湘南形」として、全国で流行します。運行区間も1951(昭和26)年より東京~浜松間257.1kmとなり、それまで電車の最長距離だった飯田線 豊橋~辰野間195.7kmを上回りました。 1956(昭和31)年に増備された300番台では、10系軽量客車の構造が採用されます。座席間隔なども客車と同じにされ、急行用客車の装備だった扇風機も備えられて、東京~大垣間の410kmを運行する準急「東海」などに投入されました。この実績が、後の電車特急や新幹線実現の根拠とされていくわけです。 80系の後継車両は、準急用は1958(昭和33)年からの153系電車、近郊区間用は1963(昭和38)年からの111系電車へ移行。111系はラッシュ時の円滑な乗り降りに限界があるとして、3扉セミクロスシートを採用しました。この座席配置は近郊形電車401・421系を基本にしたものです。なお、4扉ロングシート車の101系電車をセミクロスシート化した構造も検討されましたが、居住性に問題があるとして採用されませんでした。 111系は、主電動機出力を強化した113系電車、勾配や耐寒耐雪に対応した115系電車に発展します。111系は一等車も、80系のボックスシートから回転式クロスシートになりました。111系は2006(平成18)年まで、JR東日本の東海道本線で使われました。