ブルース・スプリングスティーンが語る「アメリカン・ドリーム」の定義、エルヴィス、マイケル、プリンスへの想い
ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の日本独自企画盤『ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)』が9月25日に発売されたことを記念して、40年前の1984年に掲載された米ローリングストーン誌の16000字カバーストーリーを前後編でお届けする。こちらは後編。 【写真ギャラリー】ブルース・スプリングスティーン、80~90年代の秘蔵プライベートフォト >>>前編はRolling Stone Japanのサイトに掲載中 ブルース・スプリングスティーンが語る『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の真実
富と名声を得た「根無し草」
―今年はマーケットで広く成功を収めました。『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』ツアーでは全米のアリーナを埋め尽くし、アルバムは世界で500万枚以上を売り上げています。大金持ちになったことで、あなた自身に変化はありましたか。 BS:確かに変わった。生きやすくなる訳ではないが、いくつかの面で余裕ができる。家賃の支払いを気にする必要がなくなり、仲間のために物を揃えたり、友だちに手を差し伸べることもできる。それに、自分でも楽しい時間を過ごす余裕もできた。でもお金が入ってきても、心の中では貧しく感じることがあるし、心の整理がつかないときもあった。 ―どういうことでしょうか? BS:若い頃に形成された、俺の物事全般に対する見方のせいだと思う。訴訟問題とかその他諸々のことや、レコードを作るのに取られる時間などのせいでもある。『ザ・リバー』のツアーの頃までは、銀行にお金が入っていなかったからな。『ザ・リバー』ツアーは、とても良かったと思う。でも実際にお金が人を変えるかどうか、俺にはわからない。人の本質が変わるとは思えない。お金は、利便性をもたらす手段であり、単なるモノでしかない。贅沢な悩みさ。 ―明らかに服装にお金を掛けていませんが、何に使っていますか。 BS:今、あれこれ考えている最中だ。例えばチャリティ・コンサートを開いて、自力で何とか生きようと頑張っている人たちを支援することもできる。音楽で稼ぐのは俺の夢でもあったが、決してお金のために音楽をしている訳ではない。もしそんなことをしたらすぐにバレて、ファンも離れてしまうだろう。当然だ。しかし同時に、金持ちになるのはみんなの夢でもある。例えば……。 ―ピンクのキャデラックとか? BS:そう、ピンクのキャデラックだ。俺はよくスティーヴ(・ヴァン・ザント)と、儲かったらあれをしようとか、これもしたいな、とか話し合っていたよ。 ―どんなプランを練っていたのでしょうか。 BS:俺たちは、ザ・ローリング・ストーンズみたいになりたかった。当時の俺たちが一番憧れたバンドだった。でも自分が成長するにつれて、着ていたスーツが合わなくなったり、違和感を覚えたりする。目指すものは、人それぞれ違うんだと思う。でも、これまで手にした成功には満足している。ファンがいて、お金も儲けた。そして、昔の俺がやりたいと思っていたことのいくつかを、実現できるようになった。 ―あなたがミリオネアだというのは大げさでしょうか。 BS:いや、そのぐらいは稼いだ。 ―ニュージャージー州ラムソンの自宅はどのような感じですか? BS:丘の上の豪邸さ(笑)。自分には縁がないと思っていたような場所だ。でも今回のツアーへ出る前に、俺は広い家を探していた。それまで借りていた家が本当に狭かったからな。俺は子どもの頃からずっと借家住まいだった。デビューしてから12年経つが、自分の家と呼べるようなものを持ったことがなかった。俺は、500ドル程度のピックアップ・トラックからゲイリー・ボンズから譲り受けた69年式シボレー・インパラまで、何年もかけてコレクションしたクラシック・カーを何台も所有している。『明日なき暴走』が売れたおかげで、60年式シボレーも1台買えた。俺のコレクションは、ニュージャージー中の知り合いのガレージに分散して格納してもらっている。だから、広い家が欲しかったんだ。でも本当は、大きな納屋のある農場が欲しい。そして敷地内にスタジオを建てれば、レコーディングのたびにニューヨークまで出向かなくて済む。このツアーが終わったら計画を進めたいと思っている。 ―ラムソンの邸宅は仮住まいですか? BS:これまでのどの家も、仮住まいみたいなものだ。俺はそういう人間さ。なぜか一箇所に留まるのが嫌なんだ。面白いことに、俺が大切にしているものや自分にとって重要なものは全て、自分のルーツとか家と深いつながりがある。でも俺自身はその逆で、根無し草のようなものだ。俺は自分の居場所に固執しないタイプで、車の中でもツアー先でもくつろげる。だからそんなテーマの曲が多いんだろうな。20代前半は、ほとんど家族と離れて暮らしていた。仲が悪かった訳ではないが、ただ束縛されたくなかったんだ。自立していたいのさ。いつでも好きなときに好きな場所へ行って、すべきことをこなせる状態にいたい。それが俺のこれまでのやり方さ。今でも、俺が大家族向きの人間かどうかわからない。これまでも今も、バンドが俺の家族だ。若い頃に、自然と身に付いてしまったのかもしれない。当時は月に60ドルしか稼げなくて、それで暮らさねばならなかったから、結婚したり恋人を作ったりなんて余裕はなかった。それが俺の生活スタイルになってしまったんだ。