アラン・プロストが回顧する、アイルトン・セナとの”関係”が変わった瞬間「私に対して、完全に別人になった」
■セナ、最後の週末
1994年のサンマリノGPでは、セナの事故が起きる前にも、ルーベンス・バリチェロが重傷を負ったり、ローランド・ラッツェンバーガーが亡くなったりと、重大な事故が続発していた。そのためセナとプロストは、何度も話し合いをしたという。 このレースにプロストは、フランスのテレビ局の解説者として訪れていた。そのため最初は、セナがTVコンパウンド(テレビ局の臨時放送用機材や施設が集められたエリア)を訪れ、2度目はプロストがウイリアムズのガレージを訪れたという。 そしてプラクティスで走っているセナが、プロストに無線で話しかけるシーンもあった。 「親愛なる友人アランに、特別なメッセージを送る。僕らはみんな、君がいなくて寂しいよ」 そうセナが無線で語ったのは有名なところだ。 この週末のことについて、プロストは次のように振り返る。 「アイルトンは、土曜日に私に電話してきた。それでその日に彼と会ったんだ。そして日曜日には、彼と二度会った。主な内容は、彼が安全性や当時の状況に満足していなかったということだった。ベネトンは、合法ではないことをしていると考えていたんだ」 「彼はそのことにとても集中していたが、それはとても奇妙なことだった……奇妙だったんだ」 なお当時ウイリアムズのチームマネージャーを務めていたイアン・ハリソンは、前戦パシフィックGPでリタイアした直後のセナに付き添っていた。その時のセナの様子についてハリソンは次のように語っており、プロストの発言と一致する。 「彼(セナ)はベネトンが何か不正を働いていることを確信していた」 後にベネトンは1994年シーズン中に、前年限りで使用が禁止されたトラクションコントロールを使用していた可能性があるとして、FIAから調査を受けた。その結果、ベネトンが使っていたソフトウェアにはローンチコントロールシステムが隠されていたことが発覚した。ただチームは、テスト以外にはアクセスできないものだと主張。結局チームがレースウィーク中にそのようなシステムを使用したことは立証されず、無罪放免となっている。
Charles Bradley