「県警批判をしたら仕返しにワナにはめられかけた」 元産経記者の経験した「警察の怖ろしさ」
警察を尊敬していても見逃せないこと
警察が憎かったわけではない。むしろ身命を賭して仕事に邁進する警察官を僕は心底尊敬していた。 宇都宮中央署刑事課の大久保盛男巡査部長が、タクシー会社に立て籠もった暴力団組員に、突入時に散弾銃で撃たれ、殺害されたという事件が起きた(殉職後、警部に昇進)。このときは支局長に掛け合い、支局長名と東京本社編集局長名で弔電を出した。東京本社は快諾してくれた。大久保さんの業績を称える記事も書いた。無辜(むこ)の、名もない警察官たちに市民の安全は守られているのだ、という意識を強くしたものである。 だが、須藤さん事件のときの県警の対応は正反対だった。一刻の猶予もない切迫した事態であるのは明らかなのに、どこの警察署も県警本部もほとんど何もしなかった。その不作為が許せなかった。「県警幹部に嫌われる」「取材がしにくくなる」とは露ほども考えなかった。そもそも県警幹部の大部分からは嫌われていたし、逆に現場の警察官からはそれなりに支持を得ていた自負はあったので、心配はしていなかった。出入り禁止を言い渡されたら、逆に「県警、本紙記者を出入り禁止処分」という記事にしてやろう、くらいに思っていた。県警も「あんな奴に言っても仕方がない」と諦めていたのか、以後、栃木県を去る2001年まで一度も出入り禁止は食らわなかった。
警察に罠に嵌められたか
ある年の参院選の開票当日、遅くまで支局に残って票読みの手伝いをしたり、編集を手伝ったりしていたときのことである。いつもゲラ刷りが午後9時半ごろには出るのに、選挙シフトということで降版を延長したため、支局を出たのは、日付が変わった頃になった。 道を挟んだ向かい側に車が停まっている。さして気にもせずに車を出したのだが、右折すると、その車も道に出てきた。目を凝らすとパトカーのようだ。二人乗っているのがバックミラー越しにも分かった。 「キープレフト、キープレフト」と声に出して呟きながら、40キロの制限速度をきっちり守って運転した。だが、パトカーはほどなくすると、赤色灯を回し、「前の車、停まりなさい」とスピーカーで呼びかけてくるではないか。車を停めると、40歳代後半くらいの男の警部補が降りてきた。続いて助手席から若い女性警察官も。 「酒飲んでるだろ、フラフラしてたぞ」と言って、アルコール検知用のストロー付きのビニール袋を目の前に突きつけた。 「フーッ」と言われた通り、息を吹き込んだが、その警部補は、「あれっ?」と言った。これが合図になった。 「あれって何よ。あなた、うちの支局の反対側でパトカー停めて待機してましたよね。狙ったのは僕でしょ。何が目的? 誰に頼まれた? Tさんか? T交通部長だろ」