32歳で介護離職した彼女がむしろ幸福そうな理由
病気、育児、介護、学業などによる離職・休職期間は、日本では「履歴書の空白」と呼ばれ、ネガティブに捉えられてきた。しかし、近年そうした期間を「キャリアブレイク」と呼び、肯定的に捉える文化が日本にも広まりつつある。 この連載では、そんな「キャリアブレイク」の経験やその是非についてさまざまな人にインタビュー。その実際のところを描き出していく。 日本で介護離職をする人は、年間およそ10万人いるという(「令和4年就業構造基本調査」より)。再就職が難しかったり、就労意欲が低下したり、収入が減ったりすることから、介護離職は「キャリアの断絶」という文脈で語られることも多い。
しかし一方で、それをきっかけに、それまで縛られてきたキャリアを手放し、新たな人生への糸口をつかむ人もいる。今回は、そんな人のエピソードを紹介したい(なおプライバシー保護のため、情報の一部を改変しています)。 ■父親のがんをきっかけに退職 「どうやら、がんみたいなんだ」 父の突然の言葉だった。フランスで働いていた宮本みき(仮名、当時32歳)さんは、1週間の夏休みに帰国することを伝えるため、ひさしぶりに新潟の実家に電話をかけていた。
しかし、受話器越しに伝えられたのは、思いがけない事実。聞けば、ちょうど病院で告知を受けてきたところだという。 「父も病院にはほとんど行っていなかったようで、がんがわかったときには、かなり進行している状態でした」 宮本さんは、日本の音大を卒業後、輸出業を営む日本企業に26歳で就職。その後フランスに赴任し、6年目だった。当然、現地での仕事も、生活もある。しかし、決断は早かった。 「ショックというよりは、『やることをやらなきゃいけないな』という感じでしたね。手術がうまくいったとしても、入退院を繰り返すことになりそうだったんですが、兄と姉は実家の近くには住んでいない。私が一番動きやすい状況だったということもあり、『やるしかないな』と思いました」