32歳で介護離職した彼女がむしろ幸福そうな理由
宮本さんは、休職して帰国。実家で父親のケアを始めた。 父親は半年の治療後、自分で日常生活がほぼ支障なくできるほどに回復。宮本さんには、フランスに戻るという選択肢もあったが、日本に残ることを決断する。その背景には、それまでの生活への違和感があった。 宮本さんは、3歳からクラシック音楽を学び始めた。専門はバイオリン。大学も音大に入り、演奏を続けた。経歴だけ聞くと、幼少期からやりたいことを見つけ、順風満帆に歩んできたようにも聞こえる。しかし、宮本さんは人知れず葛藤を抱えていたという。
「音楽をやれる環境が与えられたのは、恵まれていたと思うし、感謝もしているんですけど……ずっと苦しかったんですよね。今思えば、自分で選んだ道というよりは、親が敷いたレールの上をずっと歩んでいたのだと思います」 音大を卒業後、音楽の道を離れて渡欧した背景には、「敷かれたレール」から逃れたいという思いと、20年以上音楽の世界に身を浸していたことによるコンプレックスもあった。 「『自分は世間知らずだ』と思っていました。世の中の常識がわかっていない気がして、自信がなかったんです。だから、若いうちに一度、大変な環境に身を置いてみたいという気持ちがあり、フランスで働くことにしました」
しかし、待っていたのは、家と職場の往復ばかりの日々。仕事は忙しいうえに、やりたくて選んだというよりはレールから逃れたくてした選択なので、心も喜んでいない。フランスでの生活は、宮本さんにとってつらいものだった。 疲弊した日々を送る中、突然知らされたのが、父の病の知らせだった。「今では、父に助けられたっていう気もするんです」と、宮本さんは振り返る。 「誰も、『そんな環境にいていいのか』とは言わないんですよ。でも、このままじゃいけないことは、自分が1番知っていて。だから父が病気になったときに、『一度リセットしなさい』って言われてるような気がしたんです」