32歳で介護離職した彼女がむしろ幸福そうな理由
「いずれ、母の看取りをすることになりそうだな」。そう思っていた矢先、父親のがんが再発。母親の介護をどうするか、という問題が持ち上がった。 兄と姉は実家から離れて暮らし、仕事や家庭がある。宮本さんは独身で、きょうだいのなかでも一番実家の近くに住んでいることから、宮本さんが実家に引っ越して母親の介護や父親のケアを引き受けようと考えた。 しかし、16年間続けてきた仕事も手放したくない。「演奏の仕事のときは、実家から通うよ」と父親に伝えた。すんなり受け入れてもらえると期待していたが、返ってきたのは「仕事と介護との両立は、できないと思う」という言葉だった。
「『突然、明日は仕事でいないから、ということがあっては困る』と。父も、母の介護でかなり身を削ったからこそ、その大変さがわかっていたんだと思うんです」 だが、仕事を手放すのは不安だった。宮本さんは、「この仕事は一生続けたい」と反論。母親も、「私のために仕事を辞めてほしくない」と援護する。 しかし父親は、受け入れられない様子だった。そうするうちにも、父親の症状は進行し、自らの死に向けた準備を進めていた。「自分はそんなに長くないと思う。最後は家で逝きたいから、よろしく頼む」。そう伝えられた宮本さんに、選択の余地はなかった。
「父が家で逝けるように、看取りの要員として抜擢された感じですね。でも、いやだったわけではなく、私も『家での看取りっていいな』と感じたので、在宅での介護をやらせてほしい、と思いました」 ■介護離職が、呪縛から解放されるきっかけになった 結果的に宮本さんは仕事を辞め、離れて暮らす兄や姉とも協力しあいながら、実家で母親の介護と父親のケアをすることに。収入がなくなったため、一家の生活費は両親の貯蓄や年金を、母親の介護費用は母親自身の貯蓄をあてながら暮らすことになった。
そして2023年、自宅で父親を看取ることになる。 介護がきっかけで大事にしていた仕事を手放さなくてはならなくなったことに、後悔はないのだろうか。そう尋ねると、「まだ自分でも整理できてないんですが……」と前置きしつつ、「不安や焦りは、たしかにありました」と打ち明けてくれた。 「『働いていない』という状況って、世間的にみてどうなんだろう……と考えてしまって、居心地は良いものではありませんでした」 しかし、「今では、後悔よりもむしろ、仕事を手放してよかったって思っているんです」と、宮本さんは続ける。