「東京のサグラダ・ファミリア」三田の蟻鱒鳶ル、完成へ。建築家・岡啓輔が笑顔で語る奇跡のような20年
コンクリートは、200年もつという独自製法。「踊るように」装飾を楽しむ
岡:ただ、蟻鱒鳶ルをつくりながら少しずつわかってきたことがあります。一つは、なにより楽しむこと。そのワークショップでは、建築史家である鈴木博之さんの講義もあった。そのなかで、「楽しんでつくったものは美しい。嫌々ながらつくったものは美しくない」という、美術評論家のジョン・ラスキンの言葉を教わったんです。それを聞いたとき「そんなバカな」「それなら誰も苦労しないよ」と思ったけど、だんだん「あの言葉は本物だ」「ラスキンの言葉を信じて進むぞ」と感じるようになりました。 ―楽しみながらつくることで美を目指すという。 岡:一時期、僕は和栗由紀夫さんという舞踏家のもとで踊りをやっていたんですが、舞踏もそうなんです。上手い下手じゃなく、本当に楽しんで踊っているかどうかがすごく大事で、そういう人の踊りが一番おもしろい。そこで「踊るような建築」を志向しながら、目一杯楽しんで蟻鱒鳶ルをつくっていきました。 もう一つわかってきたのは、装飾の重要性。建築の世界で、僕はずっと「装飾とはつまらないもので、考えなくていいものだ」と教わってきました。装飾を喜ぶなんて前近代的だと。正直、僕も昔はそう思ってましたが、この現場で装飾の魅力に気づいた。同時に、建築界のなかで装飾というのは僕がやらなきゃいけない係というか、そういう使命だと考えるようになったんです。 ―装飾にのめり込むようになったのは、やはりコンクリートによる独自の製法を見出してからでしょうか。 岡:そうですね。まず、コンクリートを流し込む型枠をどうするか悩みました。一般的に型枠には、コンパネ(コンクリートパネル)と呼ばれる木材を使います。ただ、これには防腐剤がたくさん入っています。僕は現場仕事の蓄積で化学物質の過敏症になっていたので、コンパネは使えないという前提で作業を開始しました。 とはいえ、コンクリート工事はコンパネと共に進化してきたようなもの。エジソンが発明したというから、古くから定番の工法です。そこで新しい手法を発明する必要がありました。試行錯誤の末、コンパネの代わりに板をビニールで巻いて使えばいいと気づきました。しかも板とビニールの間にモノを仕込めば、コンクリで自由自在に模様を描ける。そこから一気に作業が楽しくなりましたね。 ―そのコンクリートも独自の調合で練ったもので、200年以上もつ強度だと聞いています。 岡:コンクリに関しては、できるだけ長持ちすることを想定して、土木学会が提示する最も密度の高い指針を参考に自分で練り始めました。手探りのままスタートしてから、地下室ができたあたりで見学に来た専門家が「このつくり方であれば数百年はもつ」と教えてくれましたよ。 日本の鉄筋コンクリートの建築寿命は約35年だそうです(※)。つまり、40年ほどでだいたいの建物はダメになってしまう。木造であれば20数年と、その寿命はもっと短い。これは先進国のなかでも極端に短いんですよ。おそらくそれは、敗戦後の日本が復興するために、土木と建築で内需拡大を図ったからだと考えています。もし建築の寿命が100年あれば、人は一生で一つの住宅しか建てません。でもそれが3、40年ならば、一生のうちに2つ3つと家を建てる必要が生じますよね。 ―建築寿命を短く設計することで、スクラップ・アンド・ビルドを加速させ、高度経済成長を促したと。 岡:もちろん、そのおかげで日本経済は復興したんでしょう。それに100年、200年もつものを庶民がぽこぽこ建ててしまえば、国が困るのも理解できます。ただ、庶民がそんなことまで心配しなくたっていいし、建築が40年でゴミになってしまうのはやっぱり間違ってる。そう思ってコンクリートを自分で練るようになったんです。 そんなとき、雑誌『建築と日常』で「建築は誰のものか」というテーマの論考を依頼されました。反射的に「そんなの、お金を出す施主のものに決まってるじゃん」と思ったけど、ふと考えてみる。 たしかに建築の寿命が40年ほどしかなければ、それは施主のものだろう。でも、一つの建築が200年もつとなると話が違ってくる。建築の寿命が人間の寿命を越えるわけだから、「建築は誰のものか」を、より大きなスケールで捉えなければならない。そこから、建築は施主だけでなく、つくった人たちのものであり、見ている人たちのものであり、そして未来の人たちのものでもあると考えるようになったんです。 ※税法上の鉄筋コンクリート造の耐用年数は47~39年。