大の里 横綱で故郷に凱旋する「石川県のためにという思いがあったから」今年も変わらず被災地に元気を
石川県に大きな爪痕を残した能登半島地震から1年。同県津幡町に生まれた大相撲の大関・大の里(24=二所ノ関部屋)が故郷への感謝を口にした。土俵で被災地を勇気づける活躍を誓った2024年。2度の優勝に加え、入幕から5場所で大関昇進と猛スピードで1年を駆け抜けた。期待の大器は相撲協会100周年の節目にさらなるパワーアップを約束。4月の津幡町巡業で成長した姿を披露すべく精進に励む。 (黒田 健司郎) 大の里にとって2024年元日は「忘れられない」特別な一日となった。部屋の新年会を終えて体を休めていた時だった。地元・石川の能登半島を大きな揺れが襲った。「親から連絡がありました。尋常でない揺れだったみたいで、本当にびっくりしました」。1週間後には新入幕場所の初日を控えていた。少なからず動揺もあったが「石川県のため、故郷を勇気づけたいという思いが大きかった」と奮起。一時は優勝争いのトップに立つなど初場所は11勝を挙げた。 場所後には遠藤、輝ら石川県出身の先輩力士らとともに被災地を訪問。「日常」を奪われた故郷の光景に衝撃を受けた。小さい頃によく遊んだ母方の祖母の家は取り壊し。祖父も避難所での生活を強いられた。「テレビの光景とは全然違っていた。生まれ育った場所が変わり果てショックでしたね」。気持ちも折れかけた中で支えになったのは地元の力だった。励ますどころか逆に勇気をもらった。「応援が力になった。この1年間、石川県のためにという思いがあったから頑張れた」と感謝の思いは尽きない。 激動の2024年。大の里は「一気に駆け抜けました。終わってみれば想像もしていなかった番付にいる。びっくりです」と振り返る。小さい頃に夢見た優勝賜杯を2度手にして、初土俵から9場所で大関に昇進し「内容も濃かったですね」。もちろんいいことばかりではない。幕内上位の厳しい立ち合い、右差し対策に持ち味を消され、新大関の九州場所では調整の難しさも味わった。それも全て勉強。「いいも悪いも経験。まだ(プロに)入ったばかりですし、しっかり反省、修正して次に準備することが大事」と前を向く。 地元への思いはこの1年でより強くなった。7月には津幡町で優勝パレード。能登が豪雨災害に見舞われた9月の秋場所14日目は「絶対に勝つ」と強い気持ちで土俵に上がり豊昇龍を破って2度目の優勝を決めた。10月の金沢巡業には大関として凱旋。「自分たちにできることは土俵で頑張って(故郷に)勇気や元気を届けること」と力士として成長することが恩返しになると自覚する。 元日には1年の目標などの誓いを立ててきた。1年前の新年会では師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)らの前で「優勝します」と宣言したという。有言実行の活躍に「その時は誰も信じていなかったですが、2度優勝できた。何事も言うことですね」と笑う。 デビュー3年目に入る2025年。4月の春巡業では生まれ故郷の津幡町、地震で開催が中止になった七尾市での開催が決まった。「七尾市でできるまで復興したのはうれしい。津幡にもいい形で凱旋したい」。初場所、春場所の成績次第では大きな夢を現実にさせる可能性もある。「(11月の新大関場所で9勝だったのは)自分が弱かっただけ。パワーアップして頑張ります」とさらなるステップアップを誓った。 ◇大の里 泰輝(おおのさと・だいき=本名中村泰輝)2000年(平12)6月7日生まれ、石川県津幡町出身の24歳。7歳から相撲を始め新潟に相撲留学。能生中―海洋高。日体大では1年時に学生横綱、3、4年時にアマ横綱に輝くなど13冠。二所ノ関部屋に入門し、23年夏場所に幕下10枚目格付け出しで初土俵を踏んだ。2場所で十両に昇進し24年初場所で新入幕。同年夏場所で幕内優勝。2度目の優勝を果たした同年秋場所後に大関に昇進した。1メートル92、182キロ。得意は突き、押し、右四つ、寄り。