“歌舞伎界のスターと家族4人”が殺害された凶悪事件…事件から77年後「食べ物の恨み」による犯行説が「警察とメディアのでっち上げ」とわかったワケ(1946年の事件)
扉を開けるとそこには血の海が…
1946年3月16日午前9時ごろ、東京都渋谷区千駄ヶ谷にある仁左衛門宅の隣人が回覧板を届けに同宅を訪れた。が、戸が閉まっていたため隣人はそのまま帰宅。2時間後の11時ごろ、神田小川町に住む登志子の母親・吉田かよ子(当時50歳)が訪ねてきたときもやはり戸はしまっており、中からの応答はなかった。 不審に思った母親が近所の住民に立ち会ってもらったうえで、開いていた裏手の雨戸から室内に入り驚愕の光景を目の当たりにする。八畳の居間で仁左衛門(同65歳)、登志子夫人(同26歳)、三郎くん(同2歳)の親子3人(長男から三男はすでに独立。娘の照江さんは母方の祖母の家にたまたま外泊していた)のほか、同家の子守り・岸本まき子さん(同12歳)、同家使用人の榊田はるさん(同69歳)が血の海の中で殺害されていたのだ。
有名歌舞伎ファミリーを惨殺した犯人は…
通報を受け駆けつけた警察は現場の惨情に絶句する。全員が頭部と顔の上部を激しく損傷しており、部屋に飾られていたひな壇と唐紙まで凶行の返り血を浴び朱に染まっていた。特に登志子夫人は滅多打ちにされており、鼻柱から大量の血が噴出していた。 警察は現場の状況から犯人がまず八畳間で仁左衛門親子3人を殺した後、逃げ回る岸本さん、榊田さんを別室四畳間で殺害したうえ、2人の死体を八畳間に運んだものと推定。家の庭先に血まみれの薪まき割り用の斧が遺棄されていたことから、これが犯行に使われた凶器と断定する。また、前々日払い出した郵便貯金600円(現在の貨幣価値で約2万4000円)が失くなっていることも判明。 捜査当局は2歳の幼児まで容赦なく殺害している残忍さから怨恨が動機と睨むとともに、前日まで仁左衛門家に同居していた、岸本まき子さんの実兄・飯田利明(同22歳)の姿がないことから、飯田を重要容疑者として、その日のうちに全国に指名手配する。 「食べ物の恨み」による犯行説は“警察とメディアが捏造したウソ”だった…「歌舞伎界のスターが殺害された大事件」77年後にわかった「真の犯行理由」(1946年の事件) へ続く
鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載)
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